【特集展示】 旗本 本多家資料の世界 (『もの』からみる近世)

【会 期】 2010年10月26日(火)~2010年12月5日(日)

【会 場】 国立歴史民俗博物館 第3展示室

 

【趣 旨】

旗本というと、時代劇ではおなじみの存在ですが、その実態は一般には意外に知られていないことが多いようです。旗本とはどのような人たちで、その勤めとはどのようなものだったのか?どのような趣味を持ち、どのような生活をしていたのか?国立歴史民俗博物館が所蔵する具体的な旗本家の資料から、こうした疑問にお答えします。

江戸時代、将軍直属の家臣のうち、知行高(領地)が一万石以下で、将軍にお目見えが許された者を一般には「旗本」と呼びます。戦場で将軍の本陣が置かれたところに立つ旗の下に参集し、本陣を守る役割を果たす直参の武士のことです。享保期までに200家を数え、戦時にはそれこそ将軍の直属軍として総勢「旗本八万騎」といわれた軍団を構成することが予定されていましたので、将軍権力の中核だということができます。一般には、3000石以下の旗本は、大番・書院番・小姓組番・新番・小十人組人など、江戸城や将軍の警護をする「番方」から、家柄や能力に応じて町奉行・勘定奉行など行政・司法関係の職である「役方」に昇進していくのですが、島原の乱以降、旗本たちが実際に動員されるような戦闘が無くなり、幕府の官僚制度が整う18世紀以降になると、「役方」の果たす役割の方が重要になっていきます。そのなかで、石高の多い上級の旗本たちは、どちらかというと「番方」としての勤めを果たし続けることが多いのですが、ここで紹介する旗本本多家は、知行高3200石、三河以来の旗本で、主に「番方」を勤める上級の家だということになります。そもそもこの本多家は、家康の信頼があつく、戦場での勇猛ぶりから「鬼作左」とも称された本多作左衛門重次の流れをくむ家ですが、越前丸岡に所領を与えられた大名家の分家として幕末まで続く「由緒」のある旗本の家でもあります。

国立歴史民俗博物館は、この旗本 本多家の資料を約4000点所蔵しております。1994年に、この資料も使った企画展示「近世の武家社会」を開催したことはあるのですが、それ以降、同家資料については総合展示(第3展示室近世)でほんの数点お見せしている以外には、お目にかけておりません。

このたび、企画展示「武士とは何か」【10月26日(火)~12月26日(日)】を企画し、そのなかで江戸時代の武士とはどのような存在だったのか何かを考えていただくコーナーをもうけました。そのコーナーとも連動させながら、あらためて旗本の世界を描きたいと思います。企画展示と併せて是非ご覧ください。

 

 詳細情報(歴博のサイト)