石井 米雄 *
 
 

機構について

 「国立大学法人法」にもとづきまして、2004年4月から、全国にある16の「大学共同利用機関」が四つの「大学共同利用機関法人」に再編されました。その一つとして生まれたのが「人間文化研究機構」であります。「人間文化研究機構」を構成する大学共同利用機関は、関東に二つ、関西に三つ、あわせて五か所にあります。歴史の古い順に申しますとまず1972年に東京に創設された「国文学研究資料館」(国文研)です。この機関は、国文学に関する文献資料の調査、収集、整理、保存を行い、これを広く研究者一般の利用に供し、国文学研究の発展に貢献することを目的としています。

 その次に古い機関は、大阪の吹田にある「国立民族学博物館」で、これは1974年に開設されました。「民博」の設置目的は、民族学に関する調査研究を行い、その成果にもとづいて民族資料を収集し、これを公開するとともに、世界の諸民族の社会と文化に関する情報を一般に提供することによって、諸民族とわれわれ日本人との間に理解を深めることを使命としています。

 続いて1981年には、千葉県の佐倉に、「国立歴史民俗博物館」が誕生しました。「歴博」は、わが国の歴史資料、考古資料、および民俗資料の収集と保管、一般への供覧にあわせて歴史学、考古学、および民俗学に関する調査研究を目的として設置された博物館です。

 1987年に京都に創設された「国際日本文化研究センター」(日文研)は、日本文化に関する国際的、学際的な総合研究を行うとともに、世界の日本研究者との研究協力の発展をめざしてつくられた研究機関です。

 2001年には、おなじく京都に「総合地球環境学研究所」が開設されました。「地球研」は、今日危機的な状況を迎えている地球環境問題の根本的な解決に貢献する新しい学問の創出に資する総合的研究を行うことを目的としてつくられた機関で、多様な分野の研究者を擁する学際的研究所であります。

 以上の五機関によって構成された「人間文化研究機構」の本部は東京に置かれています。これらの五機関は、それぞれ設置の時期、目的を異にしておりますが、いずれも広義の人間文化の解明をその設置目的としているという点では一致しています。人間文化の研究には、それを生み育てた生態環境の研究が重要であることを考えるとき、「人間文化研究機構」に「総合地球環境学研究所」が参加していることは大きな特徴であり強みであると信じております。

 「大学共同利用機関法人」は、研究者の側からの要請というよりは、むしろ行政改革の一環として生まれました。しかしその設立の経緯はともかく、人間文化の総合的研究を発展させる新しい学問を生み出す契機が生まれたと積極的にこれをとらえ、機構の発展のために最大限の努力をしていきたいと考えております。

 
 

人間文化研究への視座―フェルナン・ブローデル

 「人間文化研究」ということばは、日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、十八世紀につくられたフランス語の science de l'homme という言葉は、人間がつくりあげてきた文化の総合的研究をめざしているという点で、「人間文化研究」に近いように思われます。 Les sciences humaines と題されたフランスの教科書の目次には、「人類学」「言語学」「心理学」「精神病理学」「認知科学」「社会心理学」「社会学」「経済学」「先史学」「歴史学」「地理学」「哲学」の諸学科がならび、人間精神の根本を問う「哲学」から、人間文化成立の自然的基盤の解明をめざす「地理学」に至る、壮大な知の体系をそこに見る思いがいたします。「人文科学」「社会科学」「自然科学」といった伝統的な三分法ではとらえきれない「人間文化」の諸側面を、総合的にとらえる機会が、機構の発足によって生まれたと認識しております。

 このようなフランスの人間文化研究の伝統を、簡素かつ明晰に示した歴史学者フェルナン・ブローデルの比較的初期の著作に『文明の文法』 (Grammarie des civilisations) という本があります。ここでは「文明」が複数形で示されていますが ここでいう「文明」はわれわれのいう「人間文化」にかなり近い概念であるように思われます。ブローデルは、『文明の文法』の最初の数章をさいて、「文明」への接近の方法を論じているので、まずその検討を手がかりとして議論を進めたいと思います。

 ブローデルはその著書の冒頭にまず「文明とは空間である」というテーゼをかかげます。「空間」の原語は espace ですが、わたくしはこれを「生態空間」と訳すことにしています。つまり、人間がそこに住み、そこで生産活動をいとなみ、そこに文化を創造する物理的空間の意味です。生み出される文化の態様が、生態空間によって大幅な規定を受けるという事実は、たとえば「遊牧民文化」と「定住農耕民」などの文化の比較からでも容易に理解されるのではないかと思います。

 人間は一人では生きてられません。そこでブローデルの次のテーゼは「文明とは社会である」となります。さらに人間みずからの生命と社会を維持していくためには、生産活動を行わなければなりませんので、「文明とは経済である」という三番目のテーゼがこれに続きます。四番目のテーゼは「文明とは集団心性である」です。これはやや唐突な感じを与えるかもしれませんが、一つの文明を特徴づける指標として、社会を営む人間集団のこころのありかたの持続性に注目したテーゼといえましょう。

 ここまでは「共時論的な議論ですが、ブローデルはこれに続いて continuite という概念を持ち出します。「(時間の)継続の意味ですが、歴史と言い換えることもできるでしょう。しかしかれはその「持続に三つのレベルを措定します。第一は一番短い「持続で、これを歴史に置き換えれば「事件史となります。いついつどこでなにが起こったのか、を議論する歴史です。その次に長い「持続はかれが conjoncture と呼ぶもので、ふつう「局面と訳されますが、数十年単位で変化する情勢などを指し、たとえば景気の変動などがこれにあたります。もっとも長い「持続は longue duree でつまり「長期持続と呼ばれます。「ほとんど動かないことを特徴とする「持続です。かれはのちにこれを「構造と呼びかえています。

 このようにブローデルは、「生態空間「社会「経済「集団心性そして三段階の「持続という切り口で、「文明の文法を解明しようとしたわけです。

 
 

人間文化研究としての「地域研究」

 人間文化を総合的に研究しようという試みは、とりわけ第二次世界大戦が1945年に終結して以後、世界の各地で行われています。その一つはアメリカで、具体的には「エリア・スタディという形で1940年代末から60年代にかけて急速な発展が見られました。日本では「地域研究と訳されましたが、台湾では「区域研究と呼ばれています。

 「エリア・スタディの特徴の第一は、研究対象である一つの文化地域(cultural area)に研究者自身が赴き、そこに長期間定着して行う「臨時調査で、これが文献のみを材料に研究をすすめる従来の研究方法との大きな違いです。第二に、そのような「臨時調査=フィールドワークを有効に行うための準備として、対象地域の原語の習得を義務づけたことで、そのための集中的原語訓練のプログラムをつくりあげました。第三の特徴は、複数の専門分野の研究者が参加して行う「学際的研究です。「地域研究は単に複数の研究者が集まって研究する multi-disciplinary studies にとどまっていてはならず、対象地域に関する問題意識を共有する研究者たちによって行う inter-disciplinary studies でなければならないといっています。こうした学際的研究を可能にするための討論の「場としての「センターがつくられました。1947年以降、全米各地の大学に三百を超えるセンターが生まれました。

 1960年代に最盛期をむかえたアメリカの「地域研究は、70年に入ると下火となり、80年代に入って研究関心が一地域を超えるグローバルな問題に移るとセンターの数は激減します。しかし90年の末になると、これまで地域研究の発展をささえていたアメリカの財団から、「地域研究の再考が提案され、地域研究のつちかった方法論を、地域にまたがった問題の解明に役立たせようとして多額の研究助成が行なわれています。

 「地域研究の影響はアメリカの枠をこえて、ヨーロッパにも影響をあたえています。たとえば1917年、植民地官吏養成を目的とする外国語大学SOASがロンドン大学に設けられましたが、戦後、SOASには、東アジア、東南アジア、南アジア、など世界の五地域を対象とする「センターが設けられ、言語のみならず、対象地域の文化についての研究教育が行なわれるようになりました。同様に二百年を越える伝統をもったフランスの「東洋語学校は、語学に加えて文明研究をその教科にふくめるようになり、校吊も東洋語学学校からINALCO (Institut National des Langues et Civilisations Orientales)に改吊されています。

 
 

日本の「地域研究」の特徴

 「地域研究の影響は、1960年代の初め以降、日本にもおよびました。1963年に発足し、二年後1965年に正式のセンターとなった京都大学の「東南アジア研究センター(現在の東南アジア研究所の前進)の設立がそれです。しかし、日本の地域研究は、その発足の当初から、アメリカのそれとはまったくことなっていました。それは「学際的とはいえ、アメリカの地域研究をになったのは人文・社会科学者に限られていましたが、日本では農学者、森林生態学者、地質学者、土壌学者などを中核とする自然科学者が過半数をしめていたことです。それは、人間文化の研究には、その文化をささえる自然的条件の解明が必須であるとの認識にもとづくものでありました。

 
 

人間文化研究のめざすもの

 以上のべてきたように、人間文化の理解には、多方面からのアプローチが必要となります。「地域研究を支える組織が「センターであったように、われわれの「人間文化研究機構は、人間文化解明のための新しい学問を創出するための「知的出会いの空間の役割を果たさなければならないと思っております。わたくしの後でお話をされる日高敏隆さんは、動物行動学の専門家ですが、総合地球環境学研究所の所長として、まさに学際的に環境問題と取り組んでいらっしゃる方です。ブローデルの「文明とは空間であるというテーゼを思うとき、人間文化研究機構における「地球研の存在はきわめて大きいものといわなければなりません。

 「日文研は日本を対象として、人間文化の総合的、学際的解明を行い、その成果を世界にむかって発信し、世界の日本理解に貢献することを期待されている研究機関です。「歴博は、おなじく日本文化を歴史学、民俗学、考古学の視点から、これまた総合的に研究する機関です。また「国文研は、国文学の研究を通じて、日本における人間文化の理解の深化をめざしています。さらに「民博は、世界の諸民族の文化の研究を通じて、以上三機関で行なわれる日本文化研究に、比較の視点を導入し、両者をさらに深く理解することに貢献することを期待されています。これまでまったく別々の存在であったこれら五つの研究機関がさらに盛んとなり、そこからあたらしい学問の芽が育つことができるよう、努力してゆく所存であります。

 その手始めとして準備をすすめているのは、これら五つの機関がそれぞれに集積した膨大な研究資料を、横断的に検索し利用することが可能となるような仕掛けを構築することです。わたくし自身は、これまで「アジア歴史資料センターという組織を通じて「国立公文書館「外務省外交史料館「防衛庁防衛研究修所図書館所蔵のアジア関係史料をすべてデジタル化し、これをコンピュータ上で、自由に検索・利用させる事業を行なってきました。この経験を生かして、機構所属の五研究機関のもつ多様な所蔵資料の検索・利用システムの構築を実現させたいと念願しております。これが完成すれば、「大学共同利用機関としての「人間文化研究機構のなかに、全国の大学・研究機関の研究者が利用できる有益な研究環境が生まれるものと期待しております。

 もう一つの願いは、これまで各機関が独自に行なってきた機関内外との共同研究を一歩進めて、機構としての連携研究を実現してゆくことで、現在すでにその準備作業が始まりました。こうしたさまざまな取り組みが実現してはじめて、「人間文化研究機構というあたらしい組織が生まれた意味がご理解いただけるのではないかと思います。さらに将来は研究関心を共有する、世界の研究諸機関との連携へと発展させていくことができればと念願している次第です。あたらしく誕生した人間文化研究機構が、その期待された使命を達成できるよう、皆様方のご理解とご支援をこころよりお願い申し上げる次第であります。