vol.015 - 文理融合研究で切り拓く歴史的オーロラ研究の魅力

文理融合研究で切り拓く歴史的オーロラ研究の魅力

 

国文学研究資料館

古典籍共同研究事業センター 准教授 岩橋 清美

 

 2017年9月 6日(日本時間)、最大規模のXクラス太陽フレアが観測され、日本でも北海道あたりではオーロラが見えるのではないかと話題になりました。オーロラは通常、北極・南極とその周辺といった緯度の高い地域で見られるのですが、強烈な太陽フレアが発生すると、稀に緯度の低い場所でもオーロラを見ることができます。実は、歴史を紐解くと、かつて何度か、日本の夜空を赤いオーロラが覆っていたことがわかるのです。

 2015年度から2016年度にかけて行われた総合研究大学院大学(総研大)学融合研究「オーロラと人間社会の過去・現在・未来」(代表研究者:国立極地研究所片岡龍峰)では、日本の古典籍や古文書、さらには中国の歴史書を用いて、過去2000年にわたる歴史的オーロラの観測記録の収集と分析が行われました。その研究は、現在、総研大学融合共同研究「天変地異と人間社会の変遷:言葉の在り方と世界の在り方」および国文学研究資料館大型フロンティア事業「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」に引き継がれ宇宙災害研究へと広がっています。

 歴史的オーロラ研究は、文理双方の研究者の共同なくして成しえないところに最大の魅力があります。私たちがとくに注目してきた事例に1204年2月21日(建仁4年正月19日)、1770年9月17日(明和7年7月28日)のオーロラがあります。前者は藤原定家の日記『明月記』に記されており、すでに天文学の分野ではよく知られているものです。しかし、樹木年輪に残る太陽活動の痕跡(注1)と連続オーロラ(注2)の発生パターンを比較することで、連続オーロラは太陽活動が活発化するときに発生し、太陽活動が長期にわたって低下する時期には見えないことをあらためて確認することができました。さらに、分析に際し『明月記』を読み込んでいくなかで、オーロラを評した「奇にして尚奇なるべし」という「奇」を重ねる表現が他の天文現象には見られないことに気づいたのです。この微妙な表現の差異は、歌人定家が科学的な観察眼を持ち合わせていたことを示していると言えましょう。

 1770年のオーロラも、また、その存在は知られていたものの、実際に調査を開始すると予想をはるかに上回る100点以上の関連史料を探し出すことができました。そのなかには絵画資料も含まれており、その一つが『星解』という彗星の解説書に描かれたオーロラでした。京都で見えたという、そのオーロラは山の稜線に扇形に広がるように描かれていました(下図を参照)。その奇抜な表現に、これが実際のオーロラの姿なのであろうかという疑問が生まれたのです。同じく京都の東丸神社に伝来した日記の記述をもとに同日の夜空を再現してみると、そこには『星解』に描かれたものと同じ扇形のオーロラが現れたのです。さらに詳細に検討していくことで、1770年の磁気嵐が観測史上最大といわれているキャリントンフレア(注3)と同等かそれ以上の規模であった可能性があることもわかったのです。

 一方、こうした分析結果は、江戸時代人がオーロラの発生を絵と文章で正確に伝えようとしていたことを示していました。オーロラの光の変化を朱の濃淡で示した微妙な表現が意味するところを読み解くためにはサイエンスの力が必要となります。そこで明らかになった事実は史料解釈をより豊かなものにし、歴史研究者が江戸時代人のオーロラ認識や天文観を考える上で新たな視点を見つけるヒントを与えてくれるのです。歴史的オーロラ研究は、文理融合研究が切り拓く、新たな研究分野創成の可能性を示唆しているのではないでしょうか。

 

注1 樹木年輪に残る太陽活動の痕跡:各年輪の年代特定ができる屋久杉の年輪中の放射性炭素C14の濃度を測定することで長期にわたる太陽活動が分かります。

注2 連続オーロラ:2日ないしは3日続けてオーロラが発生することです。

注3 キャリントン・フレア:1959年にリチャード・キャリントンによって観測された磁気嵐で、このときはヨーロッパやアメリカで電信システムの障害を引き起こした。

 

nihumaganine15.jpg

『星解』に描かれたオーロラ(三重県松阪市提供)