パネルディスカッション(1/4)

 
 
パネリスト
猪木武徳*/小林傳司*/野村雅一*/嘉田由紀子*
司 会
鷲田清一*
 
「歩く人文学」とは
  • 鷲田
  •  本日は、「歩く人文学」を実践されている先生方をパネリストにお招きしております。まずテーマに沿って、猪木武徳さん、小林傳司さん、野村雅一さんのお話を順次聞かせていただき、その後、嘉田さんにも加わっていただいてディスカッションしていきたいと思います。

     その前に、「歩く人文学」とはいったい何なのかという問題について、少しだけイメージを喚起しておきたいと思います。

     これまで人文学というと、文化を研究する人たちが研究室に座ってテキストを読む、分析する、あるいは学校にも行かないで家でごろごろしながらいろいろなことを考える、といったようなイメージが定着していました。けれども、人文学、文化の研究にとっての「現場」が、書物の世界、書斎や研究室のみであるはずがないのです。

     

 と言いますのは、文化の研究というのは、自身が何か創造行為をするというよりも、人びとがどういう生き方をしてきたか、あるいは人びとが芸術や芸能、建築といった形でどのような表現を行ってきたのか、あるいはどのように社交してきたのか、あるいはどのように組織を作ってきたのか。そういった過去の人びとの営み、現在の営み、これから人びとがなすであろう営みについて考えるわけです。過去、現在、未来における生活の在り方、そのしくみを考えるわけです。先ほどの嘉田さんのお話で言うと、問題を発見するということ、あるいは問題をきちんと析出してくること、そしてそれをまた人びとに提示・提案し、返すこと、何が大切かということを提示し直すことが、文化を研究する者の使命であると思います。そういう意味では、文化を研究する者はそのただ中にいなければ研究できるはずがないと思うのです。

 いま総合地球環境学研究所は町なかにありますが、近々郊外に移転されるそうです。大阪にある国立民族学博物館も国際日本文化研究センターも、そして大阪大学も、ちょっと人里離れた環境の中にあるものばかりです。ですから、普通の研究機関以上に意識的に町の中に出ていかなければ、本当の文化の研究はできないだろうと思います。長らく人文学の研究者はある閉じられた空間の中で、研究室の中で、書斎の中で仕事をするというイメージが固まってしまいましたが、本来はそうではない。そして、人文研究の現場は町の中、人びとの生活の場所にあるのだという意識を当初から訴えて、そういうお仕事を示してくださっているパネリストの方々を、本日はお選びしてお招きしたような次第です。

 「歩く人文学」というテーマを掲げたとき、「これは走ってはいけないという意味なのか」と機構のあるメンバーに言われました。そのときにハッと気がついたのですが、たしかにそういう意味もあるのだと。「走らない人文学」ということでもあります。先ほどの嘉田さんの発表を伺いながら、やはり関係があると思いました。というのは、嘉田さんは先ほど唐木順三さんの「近代化するとすべてが三人称になっていく」という言葉を紹介くださいましたが、じつはその唐木さんが教養の崩壊ということについて述べた『現代史への試み』という本の中に、「途中の喪失」というすてきなエッセイがあり、まさに「歩く人文学」のことを言っているのです。

 彼は昭和二十年代に関東のある郊外に住んでいて、そのときに通学バスというものが導入されたのです。それを見て、彼はそれに乗る子供たちがかわいそうだと思ったそうです。なぜかと言うと、子供たちは家から学校へ、直線の最短距離で、ものすごいスピードで通ってしまう。そのことによって途中を失ってしまった。「途中の喪失」ということです。いろいろな豊かな発見というのは、全部途中にあるのです。たとえば歩いているときに、たまたま目についた花を見て、「これはどんな茎になっているのだろう」「どんな名前だろうか」と、いろいろな発見があります。あるいは時にはそれを摘んで首飾りにしてみるといった楽しみがあります。発見は「途中」にあるのです。ですから、そういうぶらぶら歩きをしながら、山際に沿って、川べりに沿ってずっと歩いていくのが本当の豊かな生き方なのです。ある場所からある場所に最短距離で行こうとすれば、川べりに沿って歩くのではなく橋を架けなければならない。山際に沿って歩くのではなくて、トンネルを掘ることになる。通学バスはそれと同じだといったことを書いていらして、じーんときたことがあります。