第5回シンポジウムを終えて

国文学研究資料館
副館長
鈴木 淳

 9月30日(土)、一橋記念講堂で開催された第5回公開講演会・シンポジウム「人はどんな手紙を書いたか」は、好評のうちに無事終了することができました。講演者及び関係各位のご尽力に対し、心から感謝申します。また、長時間に亘って、会場で熱心に耳を傾けて頂いた、ご来聴の方々に厚く御礼申し上げる次第です。

前半の講演は、それぞれの立場から、手紙についてお話いただきました。十川信介氏は、候文の意外な生命の長さを、言文一致体と対比させながら、相手との距離感覚に求めながら論じられましたが、近代文学館所蔵の文学者の手紙資料のスライドも眼福を得るに充分でありました。谷川惠一氏は「手紙雑誌」その他を通じて、手紙文化の流行を、趣味としてまとめられ、キャンベル氏は、江戸時代の漢文体書簡の根の深さから、近代文学を照射する視点を提案されました。また宮地正人氏は、平田国学者の膨大な書簡資料の考察を通じて、ペリー来航を機に手紙の持つ機能が変質したことを指摘され、安田常雄氏は、戦後の日本人がマッカーサーへ書いた膨大な資料の分析から、戦後社会に対する見方を問い直そうとされました。

第5回公開講演会・シンポジウム「人はどんな手紙を書いたか」

時間の配分がうまくいかず、後半のシンポジウムはやや消化不良のところもありましたが、それを補って余りあったのが、講演者それぞれの話の内容の多様な広がりでしょう。手紙が、人間の根元的な営為であるコミュニケーションとしての性格を基本としていることは申すまでもありませんが、同時に社会の在り方と不可分に絡み合いながら時代文化としての内実を備えており、今回のシンポジウムでは、その様々な実相を析出することができました。考えれば、手紙ほど、多元的な角度から考察可能な対象も少ないのではないしょうか。宮地氏が、ディスカッションのときに言われた、手紙の研究を介して、もっと文学と歴史の研究者が正面から向き合うべきであるという言葉を胸に刻みたいと思います。

(平成18年10月5日掲載)

※著者の肩書きは掲載時のもの