シンポジウムを終えて(1/4) 討論会を終えた段階で

 
 
脇田 晴子 *
 
現代において文化科学は何をしうるか、何をなすべきか

 討論会では、私は自分の研究から、被差別民や女性に対する差別というものが文明・文化のある発展段階に出てくること、すなわち、差別というものも文明・文化の所産であることを述べました。そして、文化の進展にはかならず表裏があって、それが因となり果となっていることを述べたつもりです。

 戦後の歴史学の主流は、社会発展段階論であり、ヨーロッパを主とする近代国家形成の過程が、日本ではどれだけ追いつけたかという命題が基本になっていました。私の専攻する中世史も、その進展度と成熟度がヨーロッパモデルに比してどうかという観点から、農村を中心として、研究されていました。一方で、文明・文化が頽廃をもたらし、東京の空は病んでいるとうたった高群逸枝のような人もいなかったわけではありません。しかし、そういう観点が大きく出てきたのは、工業社会の歪みが公害という形で出てきてからだと思います。

 しかし、私は原始回帰論者ではなく、現代の都市生活が持っている「文化的な生活」をありがたいと思いますし、現代の発展を享受しています。その余慶とともに、現代における「ひずみ」もまた感じます。そしてそれを歴史学に生かすならば、原始からの各時代発展のあり方を解明するとともに、それが必然的にもたらす結果としての各時代における「ひずみ」をも統一的に表裏として解明したいと考えています。

 また、戦後歴史学の社会発展段階論は、ヨーロッパを基本としたと述べましたが、それは近代国家としてのヨーロッパ諸国の成功が、日本をはじめとして、それを近代国家のモデルとして追随するための基本としたからでしょう。これからはどの国が、どの地域が基本となるというものではなく、各国の各地域の特殊的な各時代相の集積のなかから、何が普遍で、何が特殊だと考え直す視覚と視野が必要でありましょう。国際的な研究の交流が求められる所以です。

 もう一つの社会発展段階論の難点は、到着点を近代機械工業に置く結果、社会的分業の発展が、考察の機軸となっていました。それは社会労働中心主義ともいうべき観点を生み、家内工業的伝統産業の軽視を生みました。何よりも問題であったのは、人類の再生産ともいうべき、家内の生活労働や、出産・育児が評価されなかった点です。当時、欧米で言われた言葉に、「男は文明・女は自然」というものがありました。近代ヨーロッパとその淵源をなす古典古代文明を開いたのは白人の男であり、女とアジア・アフリカの男は自然=未開だということです。

 しかし現在は、到達した近代文明の質が問われており、「自然」の価値は上がっています。何よりも女性の担ってきた生活部分や出産・育児の重要性が再認識されつつあります。もちろん女性が家庭ふたたび入るのではなく、社会労働の平等な位置を確保して、男女平等に重要な生活労働部分や育児などを分担するという視点が進んできています。

 近代的なエリート性が問われ、万民平等の生活の安定性の獲得が求められている現在、だれにも転嫁できぬ動物としての肉体的な人間性、自然界の動物との共存などが不可避的な必然として認識されようとしています。さらに言えば、霊魂の不滅を信じて肉体を軽視した中世思想に代わって、精神性も肉体の上に成り立つことが、もろに認識されているのではないでしょうか。近代工業化も極まった現代環境の悪化はすべての人類に及び、幸か不幸かすべての人に平等にふりかかってきます。人間存在の必然的な肉体性である「生老病死」を「汚穢」とは見なさず、必然的な営みとして把握する機運になっています。

 ポスト近代の視点に立った文化科学とは何をなしうるか。平凡ですが、平等の視点に立ち、各地域・各人の生活を守る視点に立つ以外に方法はなさそうです。

 
 
 
人間文化研究機構に何を期待するか

 研究という以上は、基礎研究が大事なことは言うまでもありません。私は古風に、基礎のない発言は、芸能に型の基礎訓練のない大げさな表現のようなものだと思っています。しかし、どこかで大きな問題に結びついていない緻密なばかりの研究は、やはり方向性がないし、時代の枠を破ることはできないと思います。

 私は専門が少しずつ違った研究者が寄り集まって、一つの問題について求心的に討論するという研究会が若いときから大好きでした。『母性を問う――歴史的変遷』という本を、文化人類学・考古学・文学・歴史学・仏教学などの、また専攻する時代が違う研究者が集まって、三年間の研究大会の末に作りました。それは当初は、動物学、医学などの方も入ってもらって、と思っていたのでしたが、思いのみで実現性が薄く、洋の東西を問わずと思っていたのも実現せず、日本関係と儒教などの中国の影響だけに限らざるをえなかったのでした。しかし、女性史にとっては、問題提起の大きな役割を果たしたと思っています。

 その後、『ジェンダーの日本史』など、いろんな専門の方、日本史をやっている各国の人びとと一緒に総合的・国際的な研究大会を行い、たいへん刺激を受けました。今はアジア規模で、触穢思想―女人禁制の研究大会をやりたいと思っていますが、なかなか思うように任せません。

 そこで人間文化研究機構について考えるとき、そういう学際的・国際的な共同研究ができる条件が揃っているのに羨ましさを禁じえません。私が比較的近くに見た、国立歴史民俗博物館は考古学・民俗学・文献史学の三分野の共同研究が成立していますし、それを国際的に行なおうという動きも活発です。国際日本文化研究センターは文学・文化人類学・歴史学や宗教学・心理学等の多彩な人びとが、すでに共同研究を国際的にやられています。文学専門の国文学研究資料館、文科系と理科系の接点の方々の集まる国立民族学博物館、そこへ自然科学系の総合地球環境学研究所が入られた人間文化研究機構は、新しいテーマを設定されたならば、有機的連関を持った研究ができる条件があるのではと思います。

 遠く離れているようですが、共同研究はあまり近いのも考えもの、適度に離れて、時々か、ある一定期間出会って、それぞれの立場から話し合う研究会の可能性。考えていると楽しくなりますが、それにはやはり先立つものが必要でしょう。年限を限って有効な研究を行なう大型の研究会、そしてそれを保障する体制、そういうものができなければ、五つの研究機関は、管理体制だけが一緒ということになるのでは、と憂慮いたします。

 石井先生が話されたブローデルは、メゾン・ジュジエという研究のための会館を作って、そこの地中海世界の研究者を集めて研究会をやろうとしましたが、地中海世界の人びとには値段が高いと評判が悪く、日本人には安いと好評でした。私も二か月間恩恵に浴しました。日本では宿舎は比較的整備されてきましたが、問題は研究者の時間です。ミシガン大学はテーマを決めて学内でプロジェクトを組織して、それに選ばれた方々は、一定期間、学内の講義をはじめ、諸負担を免除して、研究に専念させ、共同研究をさせるのだそうです。人間文化研究機構の各研究所は分散しています。融合のための方策をいろいろ考えられたら、と僭越ながら思います。