閉会のあいさつ

 
 
国立民族学博物館長
松園 万亀雄
 

 パネリストの皆さんからの興趣あふれる意見が飛び交うなかで、人間文化研究機構と大阪大学が主催する公開講演会・シンポジウムが終了しました。聴衆の皆さんもシンポジウムを盛り上げていただきました。「歩く人文学」というのは、走らない、ジョギングしない人文学のことだろうと私なりに理解しておりました。ゆっくり歩きながら観察すること、現象の表層だけを見るのではなく、歴史の中に沈殿して今日まで生き残っているものを見ること、言いかえれば現場主義の人文学、調査する人文学のことだと思います。他方、歩くことは移動すること、つまり自分の慣れ親しんだ世界から離れて異世界に赴くことも意味しています。

 高度成長の光と陰を経験した日本では、スローライフ、スローフードといった言葉が多くの人びとを引きつけているようです。都会でのせわしないサラリーマン生活に疲れきり、定年後に田舎暮らしをしたがる人びとの数も増えています。これは、いったいどういうことなのでしょうか。経済成長率やGNP、GDPで外国と競争することに日本人は疲れてきているのではないのでしょうか。日本という国自体が一種の企業社会化していることに、居心地の悪い思いをしている人びとが増えているのだろうと私は考えます。

 今日の討論の中でも、最短距離で目的地に着くことで「途中」が喪失すること、また人間は必ずしも最短距離の効率を求める存在ではない、などのご意見を興味深く拝聴したところです。

 生命科学やロボット工学に代表されるような理系・医学系・工学系の研究が国家事業として推進され、人文学・社会科学は影が薄い、元気がないとよく言われています。しかし、自然科学、科学技術を中心とした世界観、すなわち冷たい数字がずらりと並んだ統計学的な定式知から人間を解放するような運動が、徐々に高まってくるのではないかと予感させるような討論の内容でした。

 西洋のルネサンス初期、神と教会の世界観から人間を解放する運動として始まったのが人文主義でした。現代の人文主義は、技術信仰、効率主義信仰から人間を解放し、人間性の調和的な発展を目指すことに意味を見いだすべきだろうと考えます。しかし同時に、人文学畑の研究者の科学技術観は一般に単純で貧困だという本日の報告者の指摘には傾聴すべきものがあると思いました。

 今後とも人間文化研究機構の研究活動に、皆様のご支援をいただきますよう、よろしくお願いいたします。