No.057 - 歴史的・文化的資料を救え:東日本大震災の教訓を生かした資料保存へ

歴史的・文化的資料を救え:東日本大震災の教訓を生かした資料保存へ

 

豪雨や地震などの自然災害によって、停電や家屋の倒壊といった私たちの暮らしの基盤が失われるニュースをよく耳にするようになりました。こうした自然災害によって破損されるものには、個人のお宅で代々保存されてきた古文書や美術品、民具などの歴史的、文化的な資料もあります。

自然災害によって被災した資料を救出する、資料レスキュー。東日本大震災の資料レスキューは、その後の資料保存のあり方に影響を与えていると、国立歴史民俗博物館の天野真志特任准教授はみています。東日本大震災をきっかけに資料レスキューに携わるようになった天野特任准教授。当時の資料レスキューの様子や得られた教訓、東日本大震災以降の資料保存の変化について伺いました。

 


 

東日本大震災は、日本国内の資料保存の取り組みにとってどのような転機になったとお考えですか。

 東日本大震災の特徴は、局地的な災害ではなく、津波によって被災地域一帯が消失の危機に瀕してしまったということです。自治体によっては行政機能そのものが麻痺する事態に陥っていましたので、こうした場合は自治体単位での救済活動は困難になります。そのため、被災地域とは別の地域が後方から支援するといった連携が必要となりました。この時の取り組みを踏まえ、その後の災害対応でも、地域を超えた広域連携という潮流がキーワードとなってきたように思います。

 加えて、東日本大震災の場合、地震・津波の被害によって数え切れないほどの被災資料が発生しました。それらの資料は、古文書や民具、美術品など多種多様で、歴史学や民俗学といった特定の専門分野では全てに対応することは不可能でした。そこで、以前からあった議論ではありますが、被災地域全体の歴史文化に関わる資料の救済・保存に向け、分野の横断的な取り組みがいっそう求められるようになりました。

 

東日本大震災では、多くの資料が津波による被害を受けたとのことですが、津波によって被害を受けた資料は、洪水や地震などによって被害を受けた資料と破損の程度は異なるのでしょうか。

 そうですね。まず、水をかぶった影響により資料は腐敗や劣化といった危機に直面します。さらに東日本大震災の場合は海水による被害を受けました。一言に海水といっても千差万別で、単なる塩水ではなく様々な成分を含んでいます。また、宮城県の石巻では、沿岸部に製紙工場がありましたので、海水とともに大量のパルプ材が資料に付着しました。海底の沈殿物などが津波によってもたらされてきますので、そうした影響も本来は考慮しなくてはいけないのかなとも思っています。

 

東日本大震災の津波によって被害を受けた古文書(2012年3月26日撮影)。

 

東日本大震災で被災した資料のクリーニングには、地元の方の協力を得たそうですね。ボランティアにはどんな方が集まり、地元の方とどのような交流があったのでしょうか。

 2011年当時、私は東北大学に勤めており、あわせて宮城資料ネットという団体の事務局も担当しておりました。その際、救出された大量の被災古文書をクリーニングするためにボランティアを募ることになりました。このボランティアに参加していただいた多くの方は、仙台市在住の市民で、どちらかというとご参加されるまでは歴史との接点が薄い方々でした。

 それでもみなさん作業には精力的に取り組んでいただき、クリーニング作業としても大きな意味がありましたが、継続的に参加される方々のなかから、日々作業している古文書にどのようなことが書かれているのか、関心を持つ方が出てくるようになりました。そこで、せっかくなので希望される方を対象に作業後の18時ごろから古文書を読む勉強会を始めることになり、週1回、2時間ほど3年間続けました。

 私の指導は厳しかったようですが、それでもみなさん面白がって取り組まれ、1年ほど経つとかなりのレベルで古文書を解読できるようになっていました。現在でもみなさんそれぞれ解読などをされているようで、解読した古文書の成果を出版される方も出てきています。災害対策というきっかけから、地元の歴史を自分たちで発見することに関心を持っていただけたことは、歴史文化を継承する担い手を増やす意味では貴重な経験でした。

 

古文書のクリーニング作業終了後にボランティアの方と始めた「古文書を読む会」(2012年7月9日撮影)。

 

東日本大震災の資料レスキューを第一線で経験し、どのような教訓を得たとお考えですか。

 当時、私は現場を走り回っていましたが、分野や立場によって生じる様々な価値観の相違に直面しました。その時私が抱えたストレスやもやもやとした気持ちを次の世代が感じなくてもすむようにする。それが私を含め当時対応にあたった人たちに求められる課題だと思っています。

 私は本来日本の近世・近代史を専門とする歴史研究者です。ですが、東日本大震災の資料レスキューに関わったことで、そこでの経験を踏まえて資料保存のあり方について本格的に考える必要が生じてきました。特に、災害時におけるレスキューでは、分野を超えた協議が常態化します。そこで、特定の価値観に固執することは様々な悪影響を及ぼしかねません。たとえば、古文書の保存を考えるとき、歴史学の立場では、伝来経緯や資料的意義など、その古文書に付帯する歴史的な情報を尊重して保存されるべき場所を考えます。一方で、保存科学などでは、古文書を構成する物的な要素を踏まえ、保存に適した環境整備を重視します。資料を保存するといった共通の目的をもっているにも関わらず、その目的に対するアプローチは分野によって多様です。こうした多様な価値観を相互に共有しつつ、様々な意味で理想的な保存・継承のあり方を検討する場が求められるのだろうと思います。その意味では、資料保存という問題を歴史学や保存科学、民俗学といったさまざまな分野の人が関わる総合的な学問として捉え直す必要があると思っています。日頃からそれぞれの学問分野で前提としていることを共有し、地域や資料の実情に応じた対応がはかれる土壌を作っておく。そうした環境づくりが欠かせないと考えています。

 


 

2020年の1月には首都圏で資料保存に取り組む大学関係者、保存科学や修復を専門とする関係者が意見を交わせる場(External_link_font_awesome.png 歴史文化資料保全首都圏大学協議会)を設けた天野特任准教授。被災地での資料レスキューには冷静な対処が求められます。だからこそ、日頃から多様な専門家が冷静に議論できる環境を少しずつ整え、新たな資料保存のあり方を探っています。

 

2020年1月20日に千葉大学で開催した歴史文化資料保全首都圏大学協議会の第一回の協議会の様子。

 

(聞き手:高祖歩美)

 


国立歴史民俗博物館 天野真志特任准教授
専門は日本の近世・近代史と資料保存。富山大学人文学部卒業、東北大学大学院文学研究科博士後期課程を単位取得退学後、東北大学東北アジア研究センター教育研究支援者、東北大学災害科学国際研究所助教を経て2017年より現職。