vol.060 - リーダーに聞く『西谷大 国立歴史民俗博物館新館長』

リーダーに聞く『西谷大 国立歴史民俗博物館新館長』

 

2020年4月、国立歴史民俗博物館(歴博)では、8代目の館長に西谷大教授を迎えました。西谷先生は、中学生のころから歴史が好きで当時の愛読書はヘロドトスの「歴史」だったと言います。目の前で生きている人間が繰り広げるさまざまな行為に知的好奇心をそそられて、人間とは一体なんなのかという疑問を追究してきたと、これまでの研究人生を振り返ります。そんな西谷先生に考古学を学び、やがて人類学的な手法を取り入れた研究スタイルへと研究を展開してきた経緯や博物館展示への思い、歴博の館長としての抱負を伺いました。

 


 

西谷館長はどのような理由で考古学の道を選んだのでしょうか。

きっかけは、熊本大学の一年生の時に白木原和美先生の研究室で行っていた発掘の実習に参加して、考古学の面白さに目覚めたことです。白木原先生はご専門が琉球列島だったので、当時トカラ列島の中之島で発掘実習があり、その実習に誘われました。参加してみると、発掘は学生と先生のチームで行われること、また、野外で調査が行われることが性に合っていると感じました。たとえば、発掘調査では、発掘現場の交渉、宿の手配、発掘そのものの指揮、発掘後の遺物の整理や写真撮影、報告書作成などにチームで取り組み、大学院生になるとその指揮を任されるようになります。仲の悪い同級生とチームを組むこともあれば、けんかもしました。それでも人と接しながら、発掘のために必要なことを組織しながら進める考古学の研究スタイルが面白かったのです。また、一人で部屋にこもって文献を読んでいるよりもフィールドに出て、調査する点も魅力でした。

 

琉球列島の発掘現場で、調査中の西谷先生。写真当時は熊本大学の大学院生。

 

その後、人類学的な手法を取り入れた研究を展開していかれます。何が転機となって、現在の研究テーマである「東アジア人類史」へと導かれるのでしょうか。

ひとつは、1986年から3年間中国に留学したことです。それまで日本でしか暮らしたことがなく留学してはじめて中国は大国で、地域によって文化や人々の暮らしがまったく異なることを目の当たりにしました。たとえば、当時、天津や北京ではみなが人民服を着ているので、青と緑の服しかありませんし、食事も冬は毎日、ブタ肉でも脂の多い部分と白菜かジャガイモの炒めものです。レストランもほとんどなく、外食はできません。一方で広東には個人商店がたくさんあり、食事も美味しい。こうした違いを肌で感じて、中国の文化や人への関心が高まりました。

もうひとつは、民俗学者・生態人類学者でもあり、歴博に以前おられた篠原徹先生と海南島の調査をご一緒したことです。篠原先生は、当時、「日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業」に関わっておられ、海南島のリー族のある村に住み込んで村ごと調査しようとしていました。僕は中国語が話せたので、先方との交渉を手伝って欲しいということで、篠原先生たちとその村に住み込みました。そこで人類学的な手法に触れ、今を生きている人たちが狩猟・採集の道具をどう使い、生活しているかをはじめて見たのです。こうした生きた人たちの生活を知ることは、発掘によって見つかるさまざまな考古遺物が過去にどう使われていたのか、過去の暮らしを想像し、再現するために大変有益だと思いました。そして、中国の文化や人への関心と相まって、東アジアの人類史へと研究テーマが移っていきます。

 

1986年、西谷先生が留学先の天津で目にした冬景色。

 

近年はどんな研究テーマに取り組まれているのですか。

“市”を通して見られるその地域の歴史や文化を考察しています。これも篠原先生との研究ですが、ベトナムと中国との境、雲南の南に者米谷(ジェーミ-谷)と呼んでいる、とても深い谷があります。この谷では9つの民族が集まって5日おきに定期市が開催されています。市は、谷の川沿いの町、村で開催日が重ならないように立ちます。市では多様な民族が入り混じって、売り買いが行われ、経済が回っています。この様子に感激して、この市の仕組みやそれに関わる人間の行動を明らかにしたいと思い、5年ほど中国と日本を行き来しました。それ以来、市・定期市は僕のライフワークです。現在は、千葉県や新潟県、台湾の市を調査しています。東アジアでは定期市が盛んでしたが、近年、日本ではその数は減少しています。一方で、韓国や台湾では増えているので、この違いの背景に迫りたいと思っています。

 

ベトナムと中国との境、雲南の南にある者米谷(ジェーミ-谷)。5日おきに開催される定期市の仕組組みやそれに関わる人間の行動を篠原先生と一緒に調査。

 

歴博は日本の多くの博物館とは異なり、歴史や民俗などを専門とする研究者から構成される研究博物館です。こうした特徴をもつ博物館における展示について、どのようにお考えですか。

歴博のような博物館にとっての展示は、「人とは何か」という、人間を追究し表現するためのものだと思っています。それを体現できたのが、「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-」という偽物を集めて展示した企画展示です。この展示を通して考えたかったのは、なぜ人間は偽物を作るのかということです。偽物には、人をだます偽物もありますが、そうではない偽物もたくさんあります。たとえば、ホンモノの雪舟の作品は10数点しか確認されていないのにもかかわらず、280もいた江戸時代の大名はみな雪舟の作品を持っていたのです。つまり、ほとんどが偽物を持っていました。大名という社会的立場上、持っている必要があったのです。見栄のための所有です。偽物イコール儲けるためのものと短絡的に考えがちですが、それ以外の理由で偽物が存在する意味があり、そこには人間らしさが表れていると思います。ただ、偽物を展示するのではなく、人間がなぜ偽物を生み出すのか、その歴史的、社会的な背景を明らかにする。しかも、一人ではなく、専門分野の異なる研究者と一緒になって考える。それが展示の魅力です。

 

歴博の企画展示「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-」のポスター。

 

最後に歴博の館長として、今後の抱負についてお聞かせください。

今回のコロナ禍によって、あらゆるものがオンラインに移っています。しかし、人間は人や物と実際に接することで考え、感性が磨かれると思います。ですから、オンラインで博物館の収蔵品が見られるような取り組みも必要ですが、実際に博物館に来てもらうことを促す取り組みも継続していかなければいけないと考えています。

 また、旧石器時代から現代までの間に人間は生や死とどのように向き合ってきたのか、病気とどのようにつきあってきたのかをもう一度考える機会が必要だと考えています。そうした大きな歴史の流れの中で今回のコロナ禍を理解する、そうした視点が今後求められるようになると思います。いずれそうした展示が歴博で開催できたらいいですね。

 

西谷先生が現在も熱心に取り組んでいる研究テーマは、“市”を通して見られるその地域の歴史や文化。写真は調査地の一つ、台湾の市。

 

(聞き手:高祖歩美)

 

国立歴史民俗博物館 西谷大館長
専門は、東アジア人類史、考古学。熊本大学文学部史学科卒業、同大学院文学研究科史学専攻修士課程、単位取得退学。中華人民共和国中山大学人類学系に留学後、1989年に国立歴史民俗博物館考古研究部助手、2004年に同助教授、2012年より同教授を経て、2020年4月より現職。