調査研究の現場から @ベルギー 東北大学 包 双月さん

人間文化研究機構では、機構のプロジェクトの推進及び若手研究者の海外における研究の機会(調査研究、国際研究集会等での発表等)を支援することを目的として、基幹研究プロジェクト・共創先導プロジェクトに参画する若手研究者を海外の大学等研究機関及び国際研究集会等に派遣しています。
今回は、ベルギーに派遣された東北大学の包 双月(ボウ サラ)さんからの報告です。
東北大学に所属している包 双月(ボウ サラ)です。私は、令和6年7月18日〜9月12日まで、人間文化研究機構(NIHU)の若手研究者海外派遣プログラムにより、ベルギーのヘント大学に派遣されました。
派遣先の状況や調査の目的
この派遣は、人間文化研究機構グローバル地域研究事業「東ユーラシア研究プロジェクト」の一部として東北大学東北アジア研究センター拠点が推進する「マイノリティの権利とメディア」事業の一環です。
今回の派遣プログラムでは、ベルギーを拠点とし、オランダ、フランス、イタリア、スペインやドイツにおいて、中国系移民および中華料理店の経営のあり方に関する人類学的調査を実施しました。本調査の目的は、絶え間なく越境を繰り返す中国の食と、それを動かしている内在的メカニズムを明らかにすることでした。

今回の派遣を通じて見込まれる研究成果や新たな発見
まず、中国系移民のヨーロッパへの移住は、19世紀初頭のアヘン戦争以降にはじまり、その歴史的背景や出身地域、移住先の受け入れ政策など、さまざまな要因に影響されてきました。その結果、移民の規模や形成されたコミュニティは国ごとに異なっています。たとえば、英国やフランスでは植民地との関係が大きく影響した一方、スペインやイタリアへの移民は中国の改革開放政策以後に移住が増加しました。
移民の出身地域は、本来なら福建省、広東省、浙江省などの南部沿海地域が中心でしたが、近年では内陸部や北部地域からの移民も増え、移民コミュニティの多様性が拡大しています。また移住の要因は経済的なものだけではなく、学歴を求める若者の増加も顕著であり、彼らは現地社会において経済的な影響力を持つ存在となっています。こうした違いは、食にも反映されており、各国で提供される中華料理の味やスタイルには違いが見られます。このように、多様な背景を持つ中国系移民や中華料理の比較分析を通じて、移民の政治学を探求することを今後課題にします。


第二に、世界各地に広まった中華料理は、中国系移民の世界進出によってもたらされたものであり、その多くは移民の出身地域の料理に由来しています。また、ホスト社会の好みに合わせてアレンジされた中華料理が各国で定着しており、人々の胃袋を満たしています。つまり、中国本土に存在しない中華料理が世界各地に独自に展開し、人々の食生活豊かにしていると言えます。このことは、中華料理が持つ無限のアレンジ可能性や柔軟性を示していると同時に、それを創り出した中国人の生活や価値観が料理に深く刻み込まれていることを物語っています。


近年では、激辛を特徴とする四川料理が新たな旅を始めている点が注目されています。興味深いことに、これらの料理はホスト国の人々をターゲットにしているのではなく、現地に住む中国人を主な対象としています。この現象は、一つの国ではなく多くの国に見られ、国際社会における中国の政治経済的な影響力の拡大を反映していると言えます。このように、絶えず国境を越えて広がる食を通じて、中国がつくるグローバリゼーションを検討することは、既存の研究の枠組みを相対化し、新たな視点を提供する上で重要です。
第三に、農学や栄養学といった分野では、食に関する研究が豊富に蓄積されている一方で、人文社会科学における食を主題とした研究はまだ十分とは言えません。特に、人類学における食の研究では、移民がアイデンティティを維持し、コミュニティの絆を強化する側面や、エスニシティの観点から論じられることが多いのです。また、食そのものがいかに現地社会に適応し、アレンジされ、経済的な役割を果たしているかについて分析されてきました。中国の食もこれらの枠組みの中で考察されてきましたが、中華料理ほど世界的に普及した料理はほかに例を見ないと言えるでしょう。このように、絶えず国境を越えて広がり続ける中華料理を通じて、中国人社会の特質を抽出し、さらなる考察を行うことが可能なのです。
包 双月(ボウ サラ)
博士(文学)。東北大学大学院 文学研究科助教。
内モンゴル自治区出身。研究テーマは、遊牧から定住農耕化したモンゴル人に関する人類学的研究、移民、越境する中華料理およびエスニック料理の消費と受容に関する研究など。