No.058 - 東日本大震災から10年:資料の保全活動から見る福島の今

東日本大震災から10年:資料の保全活動から見る福島の今

 

東日本大震災の津波やそれに続いた福島第一原子力発電所の事故からもうすぐ10年の年月が経とうとしています。この複合的な災害によって海水を被った歴史的、文化的な資料もあれば、放射能によって汚染されたものもあり、後者の救出と保全活動は今なおも進められています。

震災の直後から、被災した地域の資料保存に携わってきた国文学研究資料館の西村慎太郎准教授。茨城県内の資料救出を手伝っていた際に、双葉町出身の学生さんと知り合ったことがきっかけで、原発が立地している地域で今も資料の保存活動に精力的に取り組んでいます。今回、西村准教授に福島県における資料の保全活動の様子や資料保全に取り組むようになったきっかけとその魅力について伺いました。

 


 

2020年現在も福島県で資料保存の活動をなさっていると伺いました。どこでどのような資料を救出されたのでしょうか。印象に残っているエピソードを交えて教えてください。

福島県双葉郡大熊町や双葉町の帰宅困難区域の資料救出を7、8、9月に行いました。1、2月にも行いましたが、コロナ禍の影響で本格的な救出はこの夏にずれ込みました。解体されることが決まっている個人のお宅に資料が眠っていたので、その救出と救出した資料の放射線量の測定や記録、目録作りを地元の方と進めました。

印象に残っているのは、江戸時代の資料が大熊町のお宅で大量に発見されたことです。最も古いもので17世紀ごろの古文書が見つかりました。資料の所在を把握する調査が以前行われていたお宅でしたが、その調査で報告されていた以上の資料が残っていたのです。また、自治体の教育委員会の担当者や地元の方々と一緒に作業をしながら、地域にまつわるいろいろな思い出話を聞かせてもらえたのも印象的でした。住民の方は地域のことについて詳しいので、たとえば地名をあげると、「あ、あそこはこういうところでね…」のような話が始まって、そうした話を聞きながらみんなで盛り上がったのもよい思い出です。

 

福島県の資料保存の様子。民家から襖を救出しました。

 

福島県での資料保存に長期に関わる中で見えてきたこと、感じたことについて教えてください。

一つ目は被災地域の人の入れ替わりが激しい中でどのように被災地域の歴史や文化を伝えていけるのか、ということです。震災から10年弱経って、僕が活動の初期に出会ったおじいちゃんやおばあちゃんの中には亡くなったり、体が弱くなったりして、資料の保存活動に参加できなくなったりしています。一方で、震災後に生まれた子供たちや資料レスキューを手伝ってくれていた当時の小学生は、この10年間、双葉町では暮らしていないので、双葉町はもう地元ではなくなってしまっています。この地域の歴史や文化を継承する担い手が少なくなっているので、どう次の世代に受け継いでいくか。難しさを感じます。

二つ目は、帰宅困難区域が解除になった地域でも人が戻ってきていないことです。被災地域でイベントやセレモニーがあるとまるで復興したかのように報道されますが、実態は異なります。駅前の広場は整備されたかもしれませんが、その周りには誰も住んでいなかったりするので、この地域は本当に復興されたのだろうかと思ってしまいます。

 

人が入れ替わり、戻らないということは、被災した地域が失われるということでもあると思います。そうした地域の消失に寂しさや悲しさを感じておられますか。

そういった気持ちはあまり持っていません。というのも、長い歴史の中で「地域」というのは、なくなったり、新しく作られたりすることを繰り返してきているので、そういうものだと考えています。ただ、歴史学者としては、資料保全で関わった地域が、ただ原発で被災した悲しい地域として受け継がれるのではなく、原発の事故よりも前から歴史や文化があったことを理解してくれる人が一人でも二人でも出てくれたらうれしいですね。そのために、現地で資料レスキューの報告会を開催したり、その地域の歴史や文化をまとめた冊子、大字誌を刊行したりして、被災地域の歴史や文化を継承するための活動を行なっています。

 

2019年の12月に刊行した「大字誌 両竹」。朝日新聞社クラウドファンディングA-portにおいて「東日本大震災と原発事故で失われつつある福島県双葉町両竹の歴史と文化を承継したい!」というプロジェクトを提案して、ブックレットの刊行に必要な資金を調達して制作しました。

 

西村先生はどのような経緯で地域歴史資料の保全に関わるようになったのですか。

きっかけは、大学3年生の夏に一般のお宅にある古文書を保全するボランティアに関わったことです。僕は同時、学習院大学の学生で、学習院大学には甲州史料調査会という山梨県の資料を保全する団体の事務局があり、ゼミの先輩たちが運営していました。ゼミの先輩に誘われたのと当時好きだった女の子も参加していたので、よこしまな考えで参加しました。実際に保全活動に携わると、歴史に対するイメージがガラリと変わりました。歴史の資料は、図書館や博物館で所蔵されていて、そうした資料をもとに歴史研究がなされているものだと思っていました。ところが、歴史研究の原石となる資料がまだ地域、それも普通のお宅に眠っていて、これらの資料をきちんと整理しないと歴史研究に結びつかないことを知ったのです。夏のボランティアに参加して、こうした資料が全国のあちらこちらにあることに気がつき、資料レスキューにのめり込むようになりました。そして、助手になるころに資料保全のためのNPO法人「歴史資料継承機構じゃんぴん」を立ち上げて、現在にいたります。

 

資料保全のどのようなところに魅力を感じていますか。

地元について詳しい人や自治体の人と一緒に資料保全に取り組むと、古文書に書かれている以上の大きな歴史像が見えてくるところです。僕は古文書を読むのは得意ですが、古文書に書かれている以上のことはわかりません。ですが、地域の人たちと話しながらさまざまな資料を読み解いたり、地元の人ならではの視点でぶつけられる疑問や意見に耳を傾けたりすることで、より深くその地域の歴史が理解できるようになります。

そういう意味では、その土地の人や資料と関わりを持つことを通して、その地域の歴史や文化を垣間見ることができるところに資料保全のやりがいを感じているのだと思います。

 

2018年10月13日に仙台メディアテークおいて、被災地域の住民向けに開いた報告会(「福島県浜通りの歴史と文化の継承 —『大字誌ふるさと請戸』という方法」)で、話題を提供する西村准教授。

 

 


 

放射能に汚染された資料の救出に10年もの時間がかかっている背景には、最近になってようやく帰宅困難区域が解除されて、被災地域への立ち入りが可能になったという背景があります。こうした地域での資料救出活動には、健康上の観点から大学生などの若い人は連れて行かず、みながタイベックススーツという真っ白の防護服を着て作業をしていると西村准教授は説明します。こうした被災地域での資料救出活動の様子は、東日本大震災の復興はまだ道半ばであることを物語っています。

(聞き手:高祖歩美)

 

国文学研究資料館 西村慎太郎准教授
専門は日本近世史と歴史資料の保全。学習院大学文学部歴史学科卒業、同大学大学院人文科学研究科博士後期課程退学。2007年に学習院大学より博士(史学)取得。2004年より学習院大学文学部史学科助手、2007年に日本学術振興会特別研究員を経て、2010年より現職。NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん代表理事。