No.063 - コロナ禍におけるインド社会の女性

コロナ禍におけるインド社会の女性

 

世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年。感染拡大を防ぐために、テレワークやオンライン帰省など、人の接触を減らすような生活様式が求められるようになり生活が一変しました。在宅時間が長くなることによって、どのような影響が見られるのでしょうか。国連女性機関によれば、世界的に女性の方が男性よりも家事の負担が増しているそうです。日本においても警察庁の発表によれば2020年の男性の自殺者数は横ばいであったものの、女性のそれは昨年よりも約16%増えていることや労働政策研究・研修機構によって2020年春の緊急事態宣言によって女性の方が男性よりも休業比率が多いことなどが報告されています。

新型コロナウイルスの感染拡大は、他の国や地域で暮らす女性にどのような影響をもたらしているのでしょうか。長年、インド社会のジェンダーに注目してきた国立民族学博物館の松尾瑞穂准教授にインドの新型コロナウイルスの感染状況やインドの女性が受けている影響などを中心に伺いました。

 


 

インド社会では、現在(2021年1月末)、新型コロナウイルスの感染は、どのような状況でしょうか。

インドでは、現時点での新規の新型コロナウイルスの感染者数は安定しています。日本では、2020年の年末から年明けにかけて急激に感染者数が増えて、11都道府県に緊急事態宣言が出されましたが、インドでは感染者数は昨年の9月をピークにして、それと比較するとかなり下がってきています(注:その後3月中旬以降、再び上昇)。ただし、感染者数の総数は1000万人を超えていて、アメリカに次いで世界で2番目です。また、死亡者数も15万人を超えていて、世界で3番目です。一方で、インドの全人口は14億人と多いですから、100万当たりの感染者数で比べた方が規模がつかみやすいと思います。インドではここ2か月は100万人当たり6000-7000人の感染者数を維持していて、日本は1月末現在4000人弱です。

ムンバイがあるインド西部のマハーラーシュトラ州に住んでいる方々によれば、だいぶコロナ前の日常生活に戻っていて、旅行に出かけたり、結婚式に参列したりしているようです。インドにはもともとマスクをつける習慣もないので、コロナが収まり始めると、マスクをしている人も減りました。日本と対照的ですね。

 

新型コロナウイルス感染症の流行は、インドの女性にどのような影響を与えているのでしょうか。

新型コロナウイルス感染症の影響には、階層差がみられると思います。インドはカースト制度という社会制度があるうえ、階層格差も大きい社会です。こうした背景もあり、スラム街に住んでいる貧困家庭が強い打撃を受けています。スラムの女性たちの多くは中間層の家で家事手伝いとして雇われています。インド社会の家庭運営の特徴とも言えますが、中間層のお宅では家事の外注化が進んでいて、2-3人のお手伝いさんが入れ代わり立ち代わりやってきて、料理や掃除、食器洗いなどを担っています。日本以上に家庭に「他者」が入り込んでいるといえます。しかし、ひとたび感染症が広がって人との接触を控える必要が出てくると、お手伝いさんたちは暇を言い渡されてしまい、収入を失ってしまいました。

インドの大都市では、「ゲーテッド・コミュニティ」と言えるような、同じ階層だけが集まって住む高層マンションが並んでいます。ただ、そうしたマンションに住む中間層の生活は、その周りにあるスラム街の住民によって支えられており、高層マンションとスラムはセットだといえます。お手伝いさんこそが中間層の家庭運営を支えているのです。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、中間層の人たちは、防衛の意味でお手伝いさんを解雇しマンションへの立ち入りを禁止しました。中間層の人たちは、オンラインで仕事や買い物をし、子どももオンラインで授業を受けられてそれほど打撃を受けていない一方で、スラム街の住民は仕事や収入をなくし、出身村へ戻ったり、子どもたちも教育の機会をなくしたりしています。インドにおけるもともとの格差が露呈し、さらに拡大したと言えるでしょう。

 

ムンバイの高級住宅とスラム。高層マンションにスラム街が隣接しており、高層マンションの住民の生活はその周りにあるスラム街の住民によって支えられている。

 

中間層の女性たちはそれほど影響を受けていないのでしょうか。

全体としてはそういう印象を持っています。中間層の何名かにお話を伺ったのですが、一番困ったのは、昨年の3月に始まったロックダウン以来、今に至るまで学校が再開されていないこと、子どもが四六時中家にいることだと言っていました。子どもの世話をしながら在宅勤務をするのが大変なのは、日本もインドも同じですよね。もちろん、お手伝いさんの数を減らしたり、なくしたりして家事の負担は増えたようですが、これを機に乾燥機付きの洗濯機に買い替えるなどして、減った人手を補っているようです。また、インドでは祖父母と同居している家庭も多いので、退職した祖父母の手を借りて乗り切ったということもあると思います。中間層の女性は、もちろん新型コロナウイルスの影響は受けているものの貧困層の女性のように生計が立てられなかったり、子どもたちに教育を与えられなかったり、というものではないようです。

 

インドの中間層が暮らすマンション群。写真はプネー郊外で建築中のもの。

 

インドの新型コロナウイルス感染症の対策として、何か目に留まったものはありましたか。

人々の行動制限に対して、強権的なところと柔軟な対応とが併存しています。新型コロナウイルスへの感染リスクの高さに応じて、マハーラーシュトラ州内の地域を3ゾーン(グリーン、オレンジ、レッド)に区切り、ゾーンごとに異なる行動様式を認めています。たとえば、戸建てが多いような郊外住宅地はグリーンゾーンと指定して、その域内での自由な移動は認められるなどです。今日本は緊急事態宣言が都道府県レベルで出されて都道府県ごとに人々の行動が制限されていますが、インド式を当てはめると各都道府県の中で感染リスクを地域ごとに区切って、その地域ごとに異なる行動様式を認めるという具合です。

 

松尾先生はどのような経緯でインドと接点を持つようになったのでしょうか。

名古屋大学大学院で修士課程の学生だった時にマハーラーシュトラ州のサヴィトリーバーイー・フレー・プネー大学に1年間交換留学をしたことがきっかけです。当時は開発学を学んでいて、アフリカやアジアのなかで、距離的に近く旅をしたこともあるインドを選びました。以来、マハーラーシュトラ州との縁が続いていて、現在の私の調査地でもあります。

 

名古屋大学大学院修士課程と総合研究大学大学院博士課程在学中にサヴィトリーバーイー・フレー・プネー大学へ留学。
留学中に農村調査をしている時の様子。

 

大学院では開発学を学ばれていたんですね。現在はインド社会やインドの女性に注目する人類学者としてご活躍されていますが、開発学から人類学へ進まれた理由は何でしょうか。

実は学部生の時は人類学を専攻していました。ですから、開発学から人類学に戻ったという感じです。大学生の時に人類学に対して、現実世界とは少しかけ離れた学問だと感じて、大学院ではより社会との接点がありそうな開発学を学ぶことにしました。学んでみると開発学は発展を目的とした実践の学問であることがわかります。他者を通して自社会を相対化せよと叩き込まれた私には開発学の理念は相入れないように思いました。たとえば、途上国が抱えている問題を解決するために開発学ではまず問題を挙げていきます。きれいな水がない、学校や病院がない、では、それをどう解決できるか、と。一方で人類学では、そこで暮らす人にとっての知とは何かから考えます。たとえば、遊牧民だったら、牛の飼育に関するローカルな知識がある、などです。学校がなくとも、社会的に継承される知識があるのです。開発学を学んでから、学問によって拠り所となる理念の違いがあること、私は人類学の理念に共感することに気がつきました。そして、博士課程は人類学に戻りました。もともとマイノリティについて関心を持っていたので、世界の人口が70億人いるとしたら、最大のマイノリティは女性だなぁと思って、女性を対象にした研究を進めていくようになりました。

 

(聞き手:高祖歩美)

 

国立民族学博物館 松尾瑞穂准教授
専門はジェンダー医療人類学や南アジア研究。1999年に南山大学文学部人類学科卒業、2002年に名古屋大学大学院国際開発研究科国際協力専攻修了。総合研究大学院大学文化科学研究科比較文化学専攻単位取得退学後、2008年に博士(文学)を取得。2010年より新潟国際情報大学情報文化学部講師、准教授を経て2014年より現職。