No.071 - 人文知コミュニケーターLive! 第1回レポート「女院と小栗判官のおはなし」

「女院と小栗判官のおはなし-人文知コミュニケーターと熊野を旅しよう!
(「人文知コミュニケーター
Live!~異分野研究者クロストーク~」第1回レポート)
 


1.はじめに

 令和3年10月24日に開催された大学共同利用機関シンポジウムでは、オンライン中継ライブ 「人文知コミュニケーターLive!~異分野研究者クロストーク~」を実施しました。本企画は、「社会と人文学研究の現場を繋ぐ」役目を担う 人文知コミュニケーターが各専門分野の視点からクロストークを展開し、人文知の魅力や研究の面白さを伝えるという趣旨のもとで誕生。今回は 国立歴史民俗博物館河合佐知子研究員 国文学研究資料館粂汐里研究員 が「女院と小栗判官のおはなし―人文知コミュニケーターと熊野を旅しよう!」と題して展開したクロストークの模様をレポートします。
 日本の代表的な山岳霊場であり、世界遺産でもある熊野三山を舞台に、「女院」「小栗判官」といったそれぞれの研究キーワードを関連づけながら、その魅力に迫った河合・粂両研究員。 トーク後はファシリテーターの光平有希研究員国際日本文化研究センター) も加わり、各研究分野の面白さや意外な接点にも触れつつ、視聴者を交え参加者全体で意見交換を行いました。
 

「女院と小栗判官のおはなし-人文知コミュニケーターと熊野を旅しよう
中継ライブのスクリーンショット①
光平研究員によるプログラム説明
 


2.女院とは何か?―その役割と重要性―

 女院研究をしている河合研究員は「女院と土地から得られる力」と題してトークを展開しました。女院制度は、991年に史上初の女院、東三条院 (962-1001)が登場したのち明治時代に廃止されるまで、何百年も続きました。初期の女院は天皇の妻であり、なおかつ自身が天皇を産んだ女性に限られていました。しかし、11世紀後半には天皇の実母でない天皇の妻や、さらには不婚内親王も女院号を受けるようになります。平安後期~鎌倉前期は男の院に注目して「院政時代」と呼ばれますが、女院も国母や皇女等の立場から政治的影響力を発揮し、幼少の天皇を支えました。また、女院は多数の荘園を列島各地に所有し、皇族・貴族の子供を養母として支えたほか、亡き家族を供養するなど、重要な役割も担っていました。しかし、高校などの教科書では「女院」の定義や役割について紹介される機会は殆どなく、ここには歴史教育におけるジェンダー問題を感じずにはいられません。トークでは、この格差が現代・次世代の日本女性に対する見方や、女性自身が社会でどう生きるかという姿勢に影響する深刻な問題であることを指摘しました。
 女院は大荘園領主でしたが、実際の「力」獲得については検討が必要であり、オーソリティ(政治社会的に認めらる権利)とパワー(モノを動かし、人に何かをさせる影響力)の違いに注意を払うことが必要です。今回は、宣陽門院(1181-1252)の例を通して、女院が失敗をしながらも方策を練って生き抜く様子も紹介しました。
 ところで、中世の熊野詣では、紀伊半島の山道を横断する「中辺路」が使われ、女院も熊野詣をしました。多くの場合、輿に乗りましたが、歩くこともありました。後鳥羽院妃の修明門院は、旅路で大雨のため川が増水し立ち往生を経験します。しかしながら命を懸けてでも自分で熊野に行ってこそご利益があると当時の人びとは考えたのかもしれない、という話題提供をしてトークを締めくくりました。
 

「女院と小栗判官のおはなし-人文知コミュニケーターと熊野を旅しよう
中継ライブのスクリーンショット②
熊野古道の中辺路を実際に歩いた河合研究員(大阪本王子にて)
 


3.  熊野に伝わる小栗蘇りの温泉

 室町末期から江戸初期の語り物芸能である説経節の研究をしている粂研究員は、代表的作品である『小栗判官』を中心にトークをしました。『小栗判官』は、鞍馬の毘沙門天の申し子である小栗判官の誕生から死までを語る一代記です。親の勧める結婚相手を無視して女に化けた大蛇と密通した小栗は、親に勘当され、配流された先で照手姫と結ばれます。しかし、許可なく婿入りしたことで舅に毒殺されてしまい、小栗は地獄で閻魔の裁きを受けることになります。忠実な家臣たちの訴えで娑婆に蘇るものの、姿は餓鬼のまま。元の人間の姿に戻るため、藤沢の上人たちに土車で曳かれて熊野の湯の峯温泉にたどり着き、無事に元の姿となって、愛する照手姫と再会するのです。小栗蘇りの湯は、熊野本宮の程近くの湯の峰温泉に「つぼ湯」という名で現在も利用されています。
 当日は、なぜ小栗がなぜ熊野の湯の峯温泉で蘇生しなければならなかったのか、その理由について、神奈川県藤沢市の時宗総本山に伝わる小栗判官伝承のこと、一遍上人が熊野権現のお告げを受け修行に励んだ逸話、熊野が蘇りの聖地であったことなどにふれながら、物語が引付けられる場所の特性について考察しました。

 

「女院と小栗判官のおはなし-人文知コミュニケーターと熊野を旅しよう
中継ライブのスクリーンショット③
和歌山県の道成寺の安珍・清姫伝説に関する絵巻を見せながら解説を行う粂研究員
国文学研究資料館蔵『道成寺略縁起』
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/200013419/viewer/1  
 


4.  まとめ

 視聴者との意見公開では、「小栗物をベースにした観光客向けの娯楽」や「天皇(男)からその娘への相続」「夫や兄弟の権利(女性との比較)」、そして「部下のジェンダーとパワー」に至るまで、トークに対して多岐に亘る質問が寄せられました。河合・粂両研究員は具体例を交えつつ回答、最後は熊野を舞台にしたその他の説話や温泉地のお菓子について双方向的に意見が交わされ、今後の研究深化にも期待が寄せられました。



文:人文知コミュニケーター 河合 佐知子(人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館)
  人文知コミュニケーター 粂 汐里(人間文化研究機構 国文学研究資料館)
  人文知コミュニケーター 光平 有希(人間文化研究機構 国際日本文化研究センター)