No.074 - リーダーに聞く『渡部泰明 国文学研究資料館新館長』

リーダーに聞く『渡部泰明 国文学研究資料館新館長』


 2021年4月、国文学研究資料館(国文研)では新館長に渡部泰明教授をお迎えしました。和歌を中心に多数の書籍を手がけられ、教養動画や国語教育ではわかりやすい解説と評判の渡部先生ですが、研究の世界に進むきっかけは意外にも「人前で話せなかったから」。そんな渡部先生に、和歌史研究の根底にある「自分の言葉で表現したい」「表現者の秘密を知りたい」という想いについて伺いました。

 



1) どのようなことがきっかけで和歌にご興味を抱いたのでしょうか。

 
私は子どもの頃、人前で話せない少年だったのです。色々と話したいことは山ほどあったけれど言葉が全然出てこなくて、頭が沸騰するような感じになる。とはいえ読書少年でしたので、いざ人前で話すと子どもでは言わないような大人びたことを言い、周囲をぎょっとさせてしまい、それでまたいっそう話せなくなる。何とか自分を変えたいと、中学生になるとあらゆることに挑戦し始めたのです。
 中学2年の時に記憶に残る二つの出来事がありました。一つは斎藤茂吉『万葉秀歌』との出会いです。当時、勉強家だった父親が1970年に開催されたEXPO'70(大阪万博)とともに万葉集の故郷も巡る家族旅行を計画したのですが、その際に父が私に「事前に読んでおけ」と渡した一本でした。斎藤茂吉の異色作であり間違いも多いけれど、『万葉集』にかけるエネルギーと情熱が詰まっている。感動しました。加えて万葉の故郷を実際に見たことで、その感動が倍化して。後日自分が撮った写真に『万葉集』とその感想を添えて先生に提出し、とても褒められた思い出があります。
 もう一つは、通い始めた塾で、寺山修司の短歌を知ったことでした。塾の若い国語の先生が見せてくれたガリ版には、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」などと、何か当時の私をかきたてる音や響きがあった。人前で話せない自分にも、こういう形で表現したら、人と気持ちのやり取りができるのではないかと思いました。
 

 

「父は親を早くに亡くして町工場の経営者になったけれど、夜中まで本を読み、勉強熱心だった。
文学から社会情勢まで知識量の豊かな人で、すごく話の面白い人でした。」
手渡されたのは岩波新書の『万葉秀歌』上下巻だった。



2) 学生時代は、劇作家・演出家である野田秀樹さんとともに演劇にのめりこんだとか。俳優から研究者へと転身された背景には何があったのでしょうか。

 中学時代から興味はあったけれど、本格的な演劇との出会いは高校1年の時でした。演劇部の先輩たちがやっている劇を観て衝撃を受けたのです。登場人物が後ろからワーッと入ってきて、ボルシェヴィズム、スターリニズム…などと、イズムが付く言葉をひたすら言っていく。そこに主人公が「何かっこつけてんだい」と言うところで芝居が始まる。当時の若者にとって演劇は主義主張の場で、学生運動の巣窟でもあった。けれど、少し後の僕らの世代になると三無主義(無気力・無関心・無責任)と言われるようになった。当時はそれに僕自身の人と話せないという性格が加わって…もうモヤモヤしていましたね。けれど、先輩の劇を観て、思想がなくても人前で表現してもいいのだと。自分にとってはコペルニクス的転回、革命でした。その時の劇の主人公が、後にともに夢の遊眠社を旗揚げする野田秀樹氏でした。
 大学在学中は芝居尽くしでしたが、夢の遊眠社を旗揚げして4年目くらいに限界を感じるようになりました。役者として己を更新するのがしんどくなるのと引き換えに、学問への興味関心が溢れ出し、また自分の言葉で表現したい欲求が強くなり、卒論のために和歌を選びました。
 

演劇に熱中していた大学時代。当時流行り始めた身体論の哲学書などを
「かっこつけたくて」読み漁っていたが、この頃の読書が後の和歌の研究に生かされていく。



3) 和歌が1300年以上続いてきた理由を一貫して追究されています。なぜでしょうか。

 和歌という様式的なものから始めたのは、寺山修司の言葉「縄目なしには自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕に言語の自由をもたらした。」(寺山修司「僕のノオト」『空には本』)がきっかけです。様式というのは表現を拘束もし、可能にもする。それが理解できると表現者の秘密がわかる。面白いではないかと。その考えは編者をつとめた『秘儀としての和歌―行為と場』(有精堂出版、1995)や、『和歌とは何か』(岩波書店、2009)の「和歌とは演技である」という自身の研究テーマとへと結実するのですが、そこに至るまでは試行錯誤の連続でした。転機となった論文は30代半ばに書いた「「ふるまへる」姿をめぐって―俊成歌論と説話の接点」という論文です(初出『国語と国文学』1993.1、後に『中世和歌の生成』若草書房、1999所収)。これは「ふるまう」という歌を批評する歌論用語の背景に、躍動する身体を語る説話的世界があると述べた論で、自分でも面白いアイデアだと思って査読雑誌に投稿しました。評価され、和歌には演劇的な要素があるのだということが自分の中で育っていきました。


4) 渡部先生は中高生や大学生むけの書籍も多数手がけられています。これまでの教育経験で、記憶に残る授業があれば教えてください。

 駒澤大学で非常勤講師として担当した演劇の授業と、東大で担当した古文教育の模擬授業の講座です。前者は、研究室の大先輩から「学生を啓発するような演劇の授業を」と依頼され困り果て、関係が途絶えていた夢の遊眠社の友人に手紙を出しました。最初は数回話をしてもらうだけのつもりでしたが、最終的には友人の導きで、私が演劇ワークショップをすることになりました。「下の名前を呼び合う」「目を見詰め合う」「触れ合う」「タイミングを揃える」の4段階を経て、最後は学生たちに演劇を作らせるというもの。後に東大で開講した教育実習生のための「古典教育の試み」と題した模擬授業講座にも取り入れました。ここでは学生たちが教師役だけでなく生徒役も演じられるようにと行ったのですが、結果として教室空間が濃密になり、芥川龍之介の小説『藪の中』とその題材となる『今昔物語集』を扱った模擬授業では、学生の間で遠慮のない意見やむき出しの思いがでてきて難しい場面もあった。私自身、反省と発見のある教育経験でした。
 

机も椅子も取り払った教室で、身体を使って演劇をする。駒澤大で10年も続く名物授業になった。



5) 最後に国文研の新館長として、今後の抱負についてお聞かせください。

 現在、国文研では「データ駆動による課題解決型人文学の創成」のプロジェクトを進めています。この事業に関わるようになって、そのデジタル技術に驚くとともに、将来的には古典籍をデジタル化する意味が求められるだろうと思いました。国文学も国文研も色々な可能性の塊なわけだけれども、デジタルで捉えられないものは何か、デジタルを活かすにはどうしたらよいか、体制を整えつつ、求められる以上のものを出していきたいと思っています。古典は人生の知恵の宝庫だから、それがデジタルとどう関わるのか、我々人間が示さないと。そこにはデジタルに対する挑発も含まれていないといけないと思うのです。


(聞き手:国文学研究資料館 特任助教・人文知コミュニケーター 粂汐里)


国文学研究資料館 渡部泰明 館長
専門は、和歌史の研究。東京大学文学部国文学専修課程卒業、同大学院博士課程中退。1986年に東京大学文学部助手、1988年にフェリス女学院大学文学部専任講師、1993年に上智大学文学部助教授、1999年東京大学大学院人文社会系研究科助教授、2006年に同教授を経て、2021年4月より現職。