No.096 - 人文知コミュニケーターにインタビュー!駒居 幸(こまい さち)さん

国際日本文化研究センター 駒居 幸(こまい さち)さん

 

・研究テーマとの出会いと魅力

 私はこれまで桐野夏生という作家を対象に研究に従事してきました。桐野は1993年にミステリー作家としてデビューした後、特定のジャンルから飛び出しながら、長編、短編、エッセイ等、精力的に作品を発表し続けています。新刊が発売されると本屋にずらっと平積みされる人気作家なので、読んだことがあるという方がたくさんいらっしゃると思います。

 桐野がデビューした1990年代は、「失われた10年」とも呼ばれ、「一億総中流社会」と呼ばれた日本が「格差社会」へと変化していく端緒となりました。桐野はそうした日本社会の変化の中で、パート主婦、フリーター、外国人労働者といった社会的に弱い立場に置かれた人々が抱く鬱屈や怒りを描き出してきました。私は特に、桐野作品における犯罪、女性、労働の描写に着目し、その表象がデビュー後どのように変化していったのか、それが日本の社会変化とどのように連動しているのかに興味を持ち、研究を続けてきました。

 私自身が桐野作品を初めて読んだのは10代の頃です。その後も継続して読み続けていましたが、研究テーマとして選ぶに至ったのは、大学院進学後、博士後期課程に入ってからのことです。振り返れば、桐野に辿り着き、今も研究を続けている背景には、修士課程修了後、幾つかの民間企業や大学で、研究職以外の職種で働いた経験があることが大きいと思います。パート社員、派遣社員、外国人労働者といった色々な「カテゴリー」の中で働く人々と一緒に働きました。彼らと仕事の悩みや将来の不安を話す中で、桐野作品が「働くしんどさ」を言語化するヒントになったことがありました。こうした経験が今の研究に繋がっていると思います。

 このように「今の」日本を生きる人々の姿がリアルに、同時代的に描きこまれ続けてきたところが桐野作品の魅力の一つですが、同時に、海外展開という点でも面白さがあります。桐野作品は、英語、イタリア語、中国語、韓国語、ロシア語など、数多くの言語に翻訳されており、2004年にはアメリカ探偵作家クラブが授与するエドガー賞に日本人作家として初めてノミネートされました。アカデミアにおいても、国外の研究者による英語論文も多数発表されています。……ということで桐野作品を研究するうちに、日本国内だけに目を向けているわけにはいかなくなりました。私はもともと国内志向の強い人間で海外旅行の経験すら殆どなかったのですが、国際学会で桐野作品について発表する機会が増え、様々な国の研究者の方との交流が生まれました。日本文学の研究を通して、国外の研究者と繋がる……こうした海外への視野の広がりと国際連携の可能性も魅力の一つだと思います。

 

・社会人から研究の道に戻った時の問題意識

 先にお話ししたように、私は修士課程修了後、しばらく研究から離れ、民間企業に就職した経験があります。恐らく、この経験がなければ、今の研究テーマに辿り着くことも、研究を続けることもなかったと思います。

 私は大学の頃からずっと「現代社会」を描くと評される作家に興味がありました……が、大学院に入り、同級生がいわゆる「社会人」としての経験を重ねていく姿を見る中で、私は社会の何を知っているのだろう、研究が「社会」に何の役に立つのだろうという疑問が大きくなっていきました。そうした中で、様々な事情が重なって民間企業への就職という道を選びました。失敗も山ほどあったのですが、「社会人」として働いていく中で、一番自分を支えてくれたのが大学院での経験でした。その「支え」には幾つもの側面がありましたが、その一つに、「コンテクストを読む」癖というか、スキルのようなものがあったと思います。

どんな会社にも独自の文化があり、その背景にはその会社の歴史や業界の文化があり、会社がある土地の文化があり、さらにその背景にはもっと大きな日本社会があり、その向こうにはグローバル社会があります。そうした社会や文化は、往々にして挨拶のトーンやオフィスの机の配置といった日常の仕事空間に反映されています。自分を囲む空間に何か違和感を覚えた時、あるいは新しい発見があった時、より大きな文脈にそれを位置づけながら、「自分が働いているこの場所はどうやって成り立っているんだろう」ということを読み解くのに、大学院で文学作品や学術書を精読した経験が役に立ちました。それは「ここで働く意味を考える」という意味で自分にとってとても重要なことでしたし、同僚と仕事や将来について深く話すきっかけにもなりました。このような経験の中で、研究という営みと「社会人」として働くことが自分の中でリンクしていき、桐野夏生という研究テーマにも出会い、博士論文の執筆を始め、大学の博士後期課程に戻りました。

 

・博士号取得後の新潟大学でのリサーチ・アドミニストレーター(URA)の活動

 博士論文執筆後、人文知コミュニケーターとして着任する前は、新潟大学でURAという職に従事していました。URAは10年ほど前に始まった、比較的新しい職種なので、ご存じない方もいるかもしれませんが、「大学などの研究組織において研究者および事務職員とともに、研究資源の導入促進、研究活動の企画・マネジメント、研究成果の活用促進を行って、研究者の研究活動の活性化や研究開発マネジメントの強化を支える業務に従事する人材」を指します(引用元:RA協議会ウェブサイト)。一番分かりやすい仕事は研究費の獲得支援でしょうか。科学研究費の申請書のチェックや大学単位での事業申請の準備と言えば、研究業界の方はイメージがしやすいかもしれません。新潟大学では、外部資金獲得支援のほかにも、人文社会科学系の研究を活性化するための施策の企画立案や、異分野融合研究の立ち上げ支援等を担当しました。

 人社系、自然科学系など、担当を分けてURAを配置している研究機関もあるのですが、新潟大学では特に担当分野を決めないスタイルをとっていました。これがとても良い経験になりました。というのも、いわゆる「理系」のURAや研究者と一緒に仕事をする機会を得ることができたからです。私はURAになるまで、PI(principal investigator、研究主宰者)やcorresponding author(論文等の責任著者)といった「理系」で当たり前に使われる言葉をよく知りませんでした。そのため、私のURAとしての仕事は、「PIって何ですか……?」と質問するところから始まり、「理系」はチームで研究をする、論文は共著で書くことが殆ど等、基本を一から教えてもらいました。

人文学は一人で研究を進めることが多いので(そうでない研究もありますが)、着任したての頃は「そうなんですか!?」と驚いてばかりいた気がします。逆に、私の方から、「人文学は一人で論文を書くことが多い」、「人文学では論文も重要だが、学術図書を書くこともとても重要」ということを説明すると、「知らなかった」という反応が来ることも多々ありました。こうした経験の中で、同じ「研究」という枠組みの中にいるのであれば、異なる分野の研究の成り立ちを、お互いもっと知っていてもいいのでは……? と思うようになりました。そうした中で、では、人文学ならではの研究の進め方や面白さを知ってもらうにはどうすればいいんだろう? ということに興味を持ち始めました。

 

・人文知コミュニケーターを志願した経緯

 企業人や理系の研究者、大学職員といった色々な分野・職種・職位の方と働く中で、人文学とその外側の世界を繋げる重要性や面白さを感じてきました。その中で、人間文化研究と社会との双方向コミュニケーションを目指す「人文知コミュニケーター」の公募を見つけました。研究者としてはまだまだ駆け出しで、同年代の研究者と比べると未熟さを感じることが多々あるのですが、この職種では自分の経験を活かして仕事ができるように思い応募を決めました。本職を通して研究者としても成長していきたいと思っています。

 

・人文知コミュニケーターとしての今後の取り組み

 私自身が企業や大学での就業経験の中でウェブ制作に携わった経験があることもあり、デジタルやウェブ空間で「人文知」や「人文知コミュニケーション」を可視化することに取り組みたいです。国際日本文化研究センター(日文研)での私の所属先である総合情報発信室には、デジタル・ヒューマニティーズ(DH)の専門家である関野樹先生がいらっしゃいます。私はDHについては「超」がつく初心者なのですが、この絶好の機会を活かして、DHを学びたいと考えています。自分の研究に関する部分での目標は、国内外の桐野夏生関連の書誌をデータベース化することです。

 他に着手したいのが、「人文知コミュニケーター」のウェブサイトの整備です。「人文知コミュニケーター」が新しい制度であることもあり、ウェブサイトもまだ模索中です。任期中に積極的に改善を提案し、手を動かしていきたいと思います。「人文知コミュニケーター」も「人文知コミュニケーション」も、人間文化研究機構の枠組みを越えて、より広く社会に共有される職種・概念となることを目指すものだと思っています。そのためには、やはり、検索して一番上にくる、人文知コミュニケーターのサイトで、目指すビジョンを分かりやすく提示することが大切だと考えています。

 ただ、その実現のためには、そもそも人文知コミュニケーターとは何者なのか、人文知コ人文知コミュニケーションとは何を指すのか、当事者として考えを深め、定義を明確にする必要があります。人間文化研究機構の第三期中期計画(2016年度~2022年度)から始まったこの制度において、私は日文研での三代目の人文知コミュニケーターにあたります。一代目、二代目の先輩たちの活動によって、人文知コミュニケーターの活動も蓄積されてきました。三代目として、自分が所属する日文研はもちろん、他機関の人文知コミュニケーターの先輩たちの活動を整理するとともに、人文知コミュニケーターが生まれた背景としての科学技術・イノベーション政策から、人文知コミュニケーターという制度を捉えなおし、今、なぜ・どのような人文知コミュニケーションが必要なのか、ということを考え直してみたいと思っています。

 

・日文研での活動

 日文研では、総合情報発信室という部署に所属しています。7月に着任したばかりなので、まだまだ「これから」というところなのですが、8月に「初仕事」として文科省で行われたこども霞が関見学デーに参加しました。これは子どもを対象に各省庁の業務を展示し紹介するイベントで、お子さんから親御さんまで幅広い年齢層の方が参加されました。日文研では「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎の鳥瞰図を中心に展示を行い(吉田初三郎式鳥瞰図データベース)、私は解説や案内を担当しました。このようなイベント等を通して、研究成果を社会へ発信していくことが日文研で求められる仕事です。

2023年8月に文科省で実施された
「こども霞が関見学デー」での展示説明の様子

 こども霞が関見学デーでは、当日の運営にのみ参加しましたが今後は企画にも関わっていきたいと思っています。また、こども霞が関見学デーでは、人間文化研究機構の所属機関である国立民族学博物館や総合地球環境学研究所を始め、他機関の方と意見交換をする機会にもなりました。このような他機関との交流にも貢献し、知恵を交換しながらよりよい良い研究成果の発信方法を考案していきたいと考えています。

 

(文責:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)

 

駒居 幸(こまい さち)さん
国際日本文化研究センター 特任助教
2022年、筑波大学人文社会科学研究科にて博士(文学)を取得(論文博士)。筑波大学人文社会系特任研究員、新潟大学研究企画室URAを経て現職。専門はカルチュラル・スタディーズ、日本近現代文学。