No.099 - 人文知コミュニケーターにインタビュー!澤崎 賢一(さわざき けんいち)さん

総合地球環境学研究所 澤崎 賢一(さわざき けんいち)さん

 

・映像芸術の分野に進んだきっかけ

 僕は小さい頃から父親の仕事の関係で転勤が多く、各地を転々としてきました。そのためか、どの場所に行っても自分がその土地の人々や関係性の外側にいるようで、当事者感が損なわれた感覚がありました。一種の根無し草のような、どこにいても自分の居場所がそこではないのと同時に、その場所がどこであっても自分の居場所でもあるかのような両方の感覚が混在していました。

 そんな暮らしをしていたのですが、大学時代に映画や現代美術にハマり、映画制作の現場で働く経験などを経ました。その頃に初めて8mmフィルムカメラを手にし、それからHi8やDVとカメラ規格をバージョンアップさせながら、いろんな出来事を撮影してきました。

 すると不思議なことに、当事者感が損なわれていた眼の前の世界との間で、カメラが自分とその世界との間を媒介してくれているような気がしました。これは後々になってから言語化された感覚ですが、カメラを持っていると、その場所にいる理由がなんとなく感じられたんです。

 その後、2007年頃にIAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー、2012年に廃止)に進学し、映像を使った現代美術の制作・発表を始めるようになりました。こうした遍歴を経て、僕は映像芸術の分野に進むことになりました。

 

・カメラで今を切り取る―映像を通してみる地球の出来事や人の営みの魅力

 映像の魅力については、いくつかの観点から語ることができます。まず、映像には、あちら側とこちら側を媒介してくれる面白さがあります。どういうことかというと、例えば「あちら側=アフリカ」と「こちら側=日本に暮らす私たち」を、イメージを介して結びつけるような状況のことです。或いは、僕の場合は、異なる専門領域や文化・宗教などの間を媒介させるものとしても映像メディアを扱っています。こうした異質なもの同士の思わぬ結びつきを生み出してくれるのが映像の魅力のひとつなのではないでしょうか。

ブルキナファソで撮影する澤崎, 2016年
(撮影:清水貴夫)

 また、映像は人間の直感的な感覚を記録するのに適しています。僕はこれまでアフリカ、東南アジア、ヨーロッパなどで様々な人たちを映像で記録してきました。映像ほど被写体の人柄や現場の空気感、会話の微細なリズムや発話におけるメタメッセージ、或いは物事との関係性などをあらわすメディアはないと思います。映像を通して地球上の出来事や人々の営みを記録する魅力は、いろんな鑑賞者たちの間でそういった感覚を共有したり、学びの機会を生み出したり、人と人を結びつけるきっかけを作ったりすることができるところです。

 映像における時間の捉え方もとてもユニークです。撮影している最中は「今」を切り取っているのですが、記録された「今」は過去のものとなります。でも、その過去を記録した映像が、別の場面では「今」を生きる人々に生きた喜びや関心を湧き上がらせたりすることもしばしばです。しかも記録された映像は非常に再現性が高く、過去となった「今」の記録は細胞分裂するように無限に拡散していきます。現実の世界では不可逆的にリニアに時間は進んでいるかのように感じられますが、映像を主体とする観点からみると、世界は可逆的かつノンリニアで極めて複雑なネットワークを形成しているように捉えることもできます。

 

・様々な研究者の活動を映像化することで見えてきたことや思いがけない出来事

 2016年にフランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した劇場公開映画『動いている庭』(監督:澤崎賢一、85分、2016年)を制作しました。この映画制作のきっかけは、現在僕が所属している総合地球環境学研究所(地球研)とのお仕事でした。2015年に地球研主催でクレマンの連続講演会が日本で開催され、僕は初来日するクレマンが日本各地を視察している様子と講演会の記録を地球研より依頼されました。このときに制作した記録映像は、地球研のYouTubeに「ジル・クレマン連続講演会」(26分、2015年)というタイトルで公開されています。

映画『動いている庭』 ポスター

 クレマンが来日してから半年後、僕はひとりでフランスにあるクレマンの自宅に赴き、「動いている庭」の原型である「谷の庭」や「野原」などと名付けられた庭を撮影しました。それを編集して劇場公開映画として完成させたのが、映画『動いている庭』です。クレマンの庭師としての姿勢に「できるだけあわせて、なるべく逆らわない」というものがありますが、この言葉に沿ってつくられた本作は、日本各地を訪問するクレマンと、彼の自宅の庭をロングショットで記録した民族誌的な映像です。

 この映画制作をきっかけに、僕は地球研のさまざまなプロジェクトに関わるようになりました。特に大きかったのは「砂漠化をめぐる風と人と土」(2012-2016年)というプロジェクトのリーダーで農学者の田中樹さんや、同プロジェクトの研究員であった文化人類学者の清水貴夫さんとの出会いです。僕は、彼らを中心とした多くの研究者のフィールド調査に同行させていただき、たくさんの記録映像を作りました。また、この頃にトヨタ財団から研究助成を受け、フィールド研究の現場での感性に着目した個人研究もスタートさせました*1

 様々なフィールド研究者の調査現場を記録することで見えてきたことは、カメラで撮影するという行為が、撮る側と撮られる側の双方の現場での舵取りに大きな影響を与えるということです。基本的に「できるだけあわせて、なるべく逆らわない」ように僕は被写体にカメラを向けてきたのですが、このときの研究者のリアクションは様々です。同時に、相手のリアクションに対して僕が取るリアクションもまた多様です。それはまるで撮影者と被撮影者が即興で行うダンスのようにも感じられました。現場での直感的なやり取りや判断は、本人にとっても思いがけないものも少なくなく、そうした感性は調査プロセスにおいてとても重要だと僕は考えています。カメラをフィールド研究者に向けることで、少なからず彼らの現場での感覚に影響を与えますし、その現場の空気感を記録した映像素材は、学術研究と芸術実践の双方にとってとても魅力的なものが詰まっていると感じました。2021年に修了した京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程では、フィールド調査でのそうした感性を映像で表現するための⽅法について、研究/創作過程を通じて論じました*2

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*1 トヨタ財団 2016年度研究助成プログラム 個人研究助成 D16-R-0344「「暮らしの目線」に見るフィールド研究の感性―映像メディアを活かす超学際研究の表現形の探究―」

*2 澤崎賢一『暮らしのモンタージュ:フィールドの「余⽩」と〈あいだのまなざし〉から⽣まれる⽅法』京都市立芸術大学, 2021

 

・人文知コミュニケーターを志願した経緯

 当初は、人文知コミュニケーターを志願したわけではなく、きっかけは地球研でした。これまでは外部者として地球研でさまざまな研究者とお仕事をご一緒させていただきましたが、地球研の一員として諸活動に関わることで、これまでとは異なるかたちで地球研のプロジェクトに関わり、自分がこれまで映像メディアを活用して探求してきたことを活かした新たなプロジェクトの可能性を開くことができるのではないかと考えて志願しました。

 そもそも、今回の募集要項をみるまで「人文知コミュニケーター」という職種があることすら知りませんでした。応募にあたって自分なりに考えたときに、人文知とは、社会と研究の現場をつなげると共に、僕たちが「この世界でどのように生きていくべきか」を様々なバックグラウンドの人たちと共に考え、実践していくことではないかと感じました。この職種が魅力的だったのは、人文知コミュニケーターがあくまで研究者として社会とのコミュニケーションを図るところです。

 僕はこれまでいわゆる典型的な研究者としてのキャリアではなく、アーティスト/映像作家として自分自身の探求を深めてきましたが、僕のやってきたことはまさに人文知に関わる活動ですので、何かできることがあるんじゃないかと考え、応募に至りました。中長期的には、リサーチ・ベースドのアーティストや映像作家が研究者としても活躍していくためのキャリアパスとして、僕が人文知コミュニケーターとして良い先行モデルとなれるのではないかということも、応募の動機でした。

 

・地球研での活動

 地球環境の保全に多大な貢献をした方の功績を称える「KYOTO地球環境の殿堂」の第14回殿堂入り者に先述の庭師ジル・クレマンが決まりました。今回、その関連イベントとして、2023年11月5日に私は同僚と一緒に「動いている庭/対話」を地球研にて開催しました。この企画は、地球研の社会共創コミュニケーション事業のひとつです。

「動いている庭/対話」 ポスター

 この関連イベントでは、クレマンの活動を記録したドキュメンタリー映画『動いている庭』の上映と、僕と同作の出演者であるエマニュエル・マレスさんが約8年ぶりにクレマンの自宅の庭を訪れ、記録した映像をご紹介しながら、新たな実験的手法を用いて、参加者の皆さんと対話する機会を設けました。その手法に関わるキーワードは〈哲学対話*3〉と〈メタ映画*4〉です。〈哲学対話〉とは、哲学的なテーマについて、参加したひとと一緒に考えて、対話することです。〈メタ映画〉とは、映像を見た鑑賞者のフィードバックを映画のコンテンツに入れ込んだ映画制作のことです。

 具体的には、みんなでクレマンの映像を鑑賞しながら何でも思いついたことを話し、その対話の様子を映像で記録しました。その対話の記録から印象的な言葉を拾い上げて、当日鑑賞した映像にそれらの言葉をナレーションとして乗せて、再編集する。そうして完成したメタ映画は、後日改めて上映会などで公開予定です。

 なぜこうした試みを行いたいのか。それは、「クレマンを知る」ことを着地地点とするのではなく、クレマンから僕たちが何かを感じ取り、その感じたことをまた別様に伝え広げていくためのきっかけを生み出したいからです。植物たちと同じく僕たちも変化のただなかにあり、常に動いています。その躍動感に溢れる静かな変化を捉え、さらにダイナミックな動きへと繋いでいきます。「動いている庭」になぞらえて、僕はこうした一連の取り組みを「動いている対話」と呼びたい。

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*3 哲学対話:哲学者の梶谷真司さん(東京大学)は、著作『考えるとはどういうことか』(2018)の中で、哲学対話に8つのルールを設けている。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/diversityresearch05.html

*4 メタ映画:アーティスト/映像作家の澤崎が「映像を見る」という行為が生み出す創造性に着目し、近年提唱している映画制作の手法。この手法を用いた作品に、映画『#まなざしのかたち』(124分、2021年)や映画『#まなざしのかたち ヤングムスリムの窓』(44分、2023年)などがある。

 

・人文知コミュニケーターとしての今後の取り組み

 とりいそぎ、大きく2つの事例紹介を通じて、学術研究に映像芸術をどのように活用できるのか、その可能性を議論するイベントを企画したいと考えています。

 ひとつめは、トヨタ財団の研究成果として僕が研究者やデザイナーの方々と一緒に創設した学際的プラットフォーム「暮らしのモンタージュ」、および文化人類学者の清水貴夫さんと農学者の田中樹さんのフィールド調査を記録して制作した多重層的ドキュメンタリー映画『#まなざしのかたち』(監督:澤崎賢一、124分、2021年)を振り返りながら、フィールド研究において映像芸術をどのように活用できるのかを議論する上映会/研究会です。

映画『#まなざしのかたち』チラシ

展覧会「ヤングムスリムの窓」チラシ

 もうひとつは、日本の文化圏で育った若いムスリムたちを題材とした共同研究プロジェクト「ヤングムスリムの窓:芸術と学問のクロスワーク」における取り組みを紹介しながら、このプロジェクトを特徴づける〈コモンズ映画*5〉という手法に着目しながら、当事者参加型の研究の応用的な可能性を議論する上映会/研究会です。

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*5 コモンズ映画:アーティスト/映像作家の澤崎が近年提唱する映画制作の手法。基本的に参加メンバー全員がカメラで互いを撮影し合い、撮影した映像素材をコモンズ=共有資源としてクラウド上に共有する。それら共有素材をもとに各自が自らの価値観や考えに基づき映像制作を進める。そこでは調査する者と被撮影者など「主体/客体」という枠組みから抜け出したパフォーマティブな関係性が構築され、研究者や被験者やステークホルダーなどの立場や世代、文化や宗教的背景、専門領域などが前提とされない共創が促される。

 

(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)

 

澤崎 賢一(さわざき けんいち)さん
総合地球環境学研究所 特任助教
アーティスト・映像作家・キュレーター・リサーチャー。京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程修了。博士(美術)。一般社団法人リビング・モンタージュ理事。
映像を中心とした現代美術をベースにしながら、新たな芸術文化パラダイム創造のために、積極的に異分野や異文化の人々と共同でプロジェクトを行っている。映像メディアを活かした学際的プラットフォーム「暮らしのモンタージュ」、共同プロジェクト「ヤングムスリムの窓:芸術と学問のクロスワーク」、学際的プロジェクト「センサリー・ダイアローグ:アートとサイエンスの共創のための場の創出」を企画・運営する。近作に、展覧会「ヤングムスリムの窓:撮られているのは、たしかにワタシだが、撮っているワタシはいったい誰だろう?」(京都精華大学サテライトスペースDemachi、2023年)、多重層的ドキュメンタリー映画『#まなざしのかたち』(監督:澤崎賢一、124分、2021年、国内外受賞多数)、劇場公開映画『動いている庭』(監督:澤崎賢一、85分、2016年、第8回恵比寿映像祭プレミア上映)など多数。