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くらしに人文知

共同研究と学際的交流を考える:ICAS13での経験をへて  

Vol.015
2025.04.21
工藤 さくら
国立民族学博物館

この記事では2024年7月28日〜8月1日に筆者が参加した国際学会ICAS13の報告をしたい。その上で、2024年7月25日に京橋江戸グランで行われた人文知コミュニケーターによる「異分野間の協働のためのコミュニケーションの実践 対話型ワークショップ」(以下、ワークショップ)に対する所感と、最後に、学会での経験をふまえて、異なる分野の研究者たちが共同研究を行う際のいくつかの可能性について述べていきたいと思う。


ICAS13 in スラバヤ

ICAS(International Convention of Asia Scholars)は、オランダのライデン大学にある アジア学研究所 IIAS(The International Institute for Asian Studies)が主催し、アジアのいずれかの地域を開催地として隔年で行われる学術大会である。IIASは、1993年にアジアにおける学際研究の発展と、国内外の協働を促すことを目的として、オランダ教育省、王室オランダ芸術科学アカデミー(KNAW)等により創立され、現在、ライデン大学に本部を構えるに至っている 。

2024年ICAS13(第13回学術大会)の開催地は、インドネシア東ジャワ州に位置するスラバヤという、首都ジャカルタに次ぐ第2の都市で行われた。高層ビルが立ち並ぶ大きな都市でありながら、一歩路地に入るとオランダ植民地時代を思わせる情緒ある古い建物が大きなバンヤン木に囲まれて佇んでいる様子もみられ、また少し車を走らせると海や山などの自然も近く、ネイチャー・アクティビティも観光の目玉のひとつになっている。そのような美しい街並みのなかに、ホスト校の国立アイルランガ大学(UNAIR、Universitas Airlangga)は位置している。

まず学会の規模感だが、ICASは驚くほど大きい。大会ホームページによると、実地参加のみでの開催となった今大会では、約1400名の国内外からの参加者と375件の研究発表が登録されていた(ちなみに、コロナ禍2021年のオンライン参加者は1500名と報告される)。家族やパートナーと共に参加している人もいるため、登録数以上の人の出があったように思う。異なる建物に分けられた会場で、年次セッション・テーマや専門分野ごとに研究発表が行われるため、参加者の数を実感することはないが、昼休憩になり昼食会場に足を運ぶと、驚くほどの数の世界各国からの参加があることに驚く。昼食会場のある広場では、大学の学生バンドによるライブパフォーマンスや、インドネシアの工芸品を販売するマーケット、アート・イベントなども同時開催されていただけでなく、会場外の特設エリアでも現地文化の体験ができるプレイベントや、スラバヤ市役所で盛大なオープニングセレモニーが行われたりするなど、市街地一帯でお祭りのような賑やかさだった。用意された食事についても配慮されていて、ベジタリアンやビーガン向けの食事だけでなく、ムスリム人口アジア一のインドネシアらしくハラール対応の食事も充実していた。映像作品のみを発表する会場もあり、筆者は「Mhara Pichchar(私たちの映像)」という作品を視聴することができた。インドのダリット(「虐げられてきた人々」の意味)が演劇や映像作成で自分たちを表現する過程を捉えたドキュメンタリー映画で、自身の研究地域とも近いため非常に興味深く参加したものの、残念ながら監督は現地に到着することができず、質疑応答は叶わなかった。それも国際学会らしいハプニングかもしれない。

※ イスラームの啓典である『聖クルアーン』、預言者ムハンマドの言行録『ハディース』に基づき「合法的(halal)」とされる飲食物や行為。

写真1:会場のエントランスにて
写真2:昼食会場でのライブパフォーマンス

学会の発表形式と特徴

さて学会発表についてだが、口頭発表には2つの形式が見られた。まずはパネル・セッション、そしてラウンド・テーブル形式だ。前者は、パネル代表者を中心に発表者が集い、パネルのテーマに合わせて発表を行うもので、ほとんどがそのように構成されていた。共同研究を行うような要領である。「ほとんどの」と前置きをしたのは、そうではないパネル・セッションがあるためだ。どういう場合かというと、個人発表として登録されている個別の発表が、学会運営委員会によって近いテーマごとにパネルとして構成されるパターンである。ただし、発表者は事前に他の発表者と打ち合わせをすることも稀であるため、各自の口頭発表を行うことが通常で、パネル・セッションとしてはうまく機能していないこともあった。このような寄せ集めのパネルをPanel Converterとして任されるのは、主催団体から奨学金を受けている若手研究者だったりもするため、酷ではあるが若手の登竜門として会場をまとめ上げるスキルが求められているとも言える。後者の形式は、書籍の出版記念の合評会や、会場の参加者を巻き込んだ参加型トークセッションなどだった。自由テーマの会場では、トークに収拾がつかなくなったものもあると聞いている。今年の10のセッション・テーマは、地政学、歴史、文化財、人の移動、知識の伝達、芸術・メディア、多様な存在論(宗教、哲学、言語と社会)、周縁の交渉術、食景観、身体を癒す(医薬・生薬、ウェルビーイング、スポーツ)だった。

自身のパネルは、食景観(Foodscapes: Cultivation, Livelihoods, Gastronomy)で、“Food and Plants as Social Objects in Contemporary Asian Foodscape: Place and Power” と題して、マレーシア、台湾、日本、ネパールにおける植物をめぐる食文化について発表した。20名ほどの聴講者がみられ、各地の事例が情報に富んでいて面白かったという好評を得た。難しかった点として、扱う地域が複数あったために、聴講者の専門と遠かったり地域的関係性が希薄だとなかなか具体的な議論には展開しづらいことだった。また言語の問題も少なからずあるだろう。私の発表は、イラクサに関するネパールの事例を紹介するものだったが、「(研究者が)どのようにその土地を選んで、どのように現地の人びとと関係性を築いて調査を行うのか」という調査自体にも関心が高かったように思う。一方、「酒米と原住民族運動」といった具体的テーマと、indigenous people, transnationalのような汎用性の高いキーワードをうまくアピールしたメンバーは、より議論が展開していた印象がある。また、興味深かったのは、食景観のセッション参加者は、大会プログラム外でコーヒーミーティングと呼ばれる交流会が設けられたことだった。こういった学会における交流は将来的な共同プロジェクトにもつながるだろう。

写真3:パネル発表の様子

共同研究は「広げる」に重きをおく

ICAS13からの学びをふまえ、ワークショップに対する所感を述べていく。当たり前と言われればそこまでだが、具体的事例抽象的キーワードをはっきりと示すことが、国際学会という、ことばや専門などの背景の異なる人が集まる場ではとても重要になるということだ。言い換えるならば、テーマは具体性キーワードは汎用性であることで、研究者同士、専門家同士などが互いにつながるきっかけになる。そして、汎用性の高いキーワードをどう選ぶかが、共同研究において重要だということだ。

専門性が高くなればなるほど、ひとつの事例や事象に対する事細かな洞察と、時に専門的知識なしに理解が難しいような深い分析を伴う。そうなると同じ専門の人たちの間でしか情報を共有することができなくなる。難しいのは、汎用性を高めていくという作業が、博士号を取得するまでに私たちが当たり前に行っている、専門性を高める研究活動と方向性が異なるということだろう。自身を事例にとると、私の専門はネパールのネワール(族)という人びとの人生儀礼の研究を博士論文のテーマとして取り組んでいた。「ネパール」、「ネワール」の言葉や文化が理解できる南アジア研究者との間では、地域性や民族文化など現地の状況をふまえて人生儀礼について共有することができるが、異なる地域の研究者とは、「儀礼」といったより抽象性の高いキーワードで会話をする他ない。しかし一方で、抽象的キーワードとして「儀礼」を、それぞれ異なる背景をもつ研究者の間で議論を深めることは可能だ。こういった濃淡を考えていかなければいけないと思う。また、分野の異なる研究では「儀礼」という言葉自体がそもそも理解しづらいこともあるだろう。そういう場合は、「成熟期」「大人になること」「社会的意味」などより抽象性のレベルを上げていくとどうだろうか(まだまだ甘い抽象度かもしれないが…)、どこかで繋がることができる可能性があるのではないか。

さて、ワークショップでは、澤崎賢一(地球研)の提案のもと各機関の人文知コミュニケーターがコミュニケーター同士での共同研究のテーマについて対談した。哲学対話の方法を取り入れ、まずは相手の意見を受け入れるという姿勢をもつこと、そして「実現可能性にあまり縛られない」というのも対談の一つの提案だった。筆者は、ICAS13への参加のため対談には参加することができなかったが、後日、録画された動画を視聴した。この動画の縮小版は、筑波大学での集中講義「人文知コミュニケーション:人文社会科学と自然科学の壁を超える」でも導入として使用された。対談の所感として、各研究者の専門性をベースとしたテーマ設定が全体に多かったと感じた。例えば、「言語」、「文学」、「建築」、「映像」など。実際に、実現可能性にあまり縛られないものはなかったが、会話がすすむにつれ、さまざまなキーワードも出てきた。例えば、「時代性」、「有形と無形」など。ここで筆者が感じたのは、テーマは具体性、キーワードは汎用性というのが当てはまるのではないかということだった。そしてそれは、国際学会のパネルという場で実現可能なのではないかと感じた。

人文知コミュニケーターは各月で研究会を行なっているが、ワークショップに至るまでにそれぞれが発表の場を経ていた。そのなかで、「テキストとのコミュニケーション」、「震災(災害)」、「ことば(書く・書かれる)」といった共有できるキーワードが上がっていた。これらをふまえ、筆者は、AAS in Asia 2025で、「災害と危機」における「記録する(書く)」ことをテーマにした人文知コミュニケーターのパネル発表をもつことを思いついた。こういった協働と途中経過的な取り組みが国際学会に適していると感じたためでもある。「災害と危機」という具体的テーマは、意図せず各コミュニケーターから上がった会話から着想を得たものだ。「記録する(書く)」という汎用性のあるキーワードは、ことばを扱う文学、言語、メディア表象、記録や表現としての映像、そして他者を記述しようとする文化人類学、という人文知コミュニケーターそれぞれの研究活動につなぐことができる抽象度の高いものだ。また、これらの着想は、駒居幸(日文研)の発表のなかで、人文学と自然科学では評価の方法が異なるといった指摘や、評価において重要とされる成果物の媒体が異なるといったことにも影響を受けている。そして、人文科学において当たり前のように行われている「書く」という行為をあらためて、「災害と危機」を通して考えるというチャレンジを組み込んだ。

「そこから何がわかるのか」を前提とせず、「そこに何がみえるのか」を協働していく過程に、人文知コミュニケーションの意義を見出すことができたら良いのではないかと思う。ICAS13そしてワークショップを経て、自分なりに出した一つの答えとして、国際学会におけるパネル発表というトライアウトを提案した。もちろんこの過程に至るまでの、人文知コミュニケーター同士の対話の重要性は言うまでもない。


【謝辞】
本記事に記載のICAS13への参加は、公益財団法人 日本科学協会「2024年度 海外発表促進助成」(発表番号:F24-221)を受けたものです。この場をもって御礼申し上げます。

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