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第6回人間文化研究機構日本研究国際賞受賞者キャロル・グラック氏インタビュー(その3)  

No.126
2025.10.08

 キャロル・グラック氏は日本近現代史の研究者です。第6回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞された同氏に、これまでおよび現在の研究活動についてお聞きしました。

コロンビア大学歴史学教授(ジョージ・サンソム教授職)キャロル・グラック氏インタビュー(その3)

現在取り組んでいる研究テーマ

 戦争の記憶に関する研究の中で、日本の体験をグローバルな文脈から見ています。つまり、第二次世界大戦が異なる国々でどのように記憶されているか、なぜ戦争の記憶が「記憶の政治」において国内の対立、国同士の対立を招くのかということです。公的記憶や集合的記憶への注目度は、私が研究を始めた1990年代以降、急激に高まってきています。今や「記憶学」という一大分野が存在し、世界的に拡大しているほどです。記憶学会も盛んで、年次会議が世界のさまざまな都市で開催されています。

 先述のように、私は戦後に関する比較研究も行っています。「世界の中の戦後」と称して、日本と他の国々の戦後期や、80年経って終わりを迎えつつある戦後の世界秩序について調べ、1945年から今日まで、戦後がどのように始まってどのような経過をたどったのかを、世界と日本の両方の視点から考察しています。

 また、歴史学そのものにも変わらず関心を持っています。つまり歴史家がどのように過去を研究し、語るのか、そしてその手法がどう変化してきたのか――。これはある種のメタ歴史、我々が理解している歴史の性質について考えようとする取り組みです。例えば明治維新150年の年である2018年、私は人々の捉え方にギャップがあることにまたも驚かされました。明治維新を時間的な切れ目と見なし、そのまったくの「新しさ」を強調する人もいれば、徳川の「連続性」あればこその明治であると主張する人もいたのです。しかし当然ながら1868年の維新は、1945年の敗戦と同様、一夜にして起こったわけでも、まったく新しい何かを生み出したわけでもありません。あるいは一切の変化なくそれ以前の状態が続いたわけでもありません。歴史とはそういうものではありません。幕末から明治へ、あるいは戦前から戦後へと続いた要素もあれば(ただしそれらは歴史的背景が変わることで変化します)、明治あるいは戦後になって生じたまったく新しい要素もありました。過去が現在になり、現在が未来になる、その複雑な道筋を追うことに私は興味があります。決して直線的な道程ではないけれど、かといって歴史的文脈から切り離されることもない。ということで、モダニティ、公的記憶、戦争と戦後、歴史学の性質が、私の主な研究分野です。

 そして現在ですが、私たちは今、めったにない歴史の大きな転換期にいると思います。単なる変化ではありません。歴史は常に変化していますから。そうではなく、さまざまな方面で同時に起きている変化です。危機が積み重なり、多くの人々が不安を感じています。現在は既に未来へ向けた糸を撚(よ)り合わせる過程に入っていますが、その現在をどう理解するのか。私たちの時代にはまだ名前がありません。ポストモダン、ポスト冷戦、ポストコロニアルと呼ばれることも多いこの「名無しの時代」は、すべてが終わった後のように見えながら、この先には私たちの知らない何かが待ち受けています。これは私たち全員、とりわけ歴史家にとっては難題です。歴史家は普通、既に済んだこと、どうなったか分かっていることを研究します。例えば、1989年のドイツ・ベルリンの壁の崩壊。これを予想した人はほぼいませんでしたが、それでもいったん壁が崩れると、歴史家を含む誰もがすぐに「兆候はちゃんとあった。壁の崩壊は『必然』だった」と言い始めました。でも歴史の大転換期、名前がなく、未来が明確に想像できない現在にあっては、これからどうなるか分からないまま、事態が動いている間に過去、現在、未来を評価しなければなりません。ベルリンの壁が崩れる前の状況と同じです。これはすべての人、中でも歴史家に求められる仕事です。つまり過去の変化のパターンを見極めるのです。歴史が繰り返すからそうするのではありません。歴史は繰り返しません。過去、現在、未来の撚り糸を早いうちにほどいておけば、我々自身の時代の糸の絡み方を明らかにすることができるます。そして何よりも、より良い未来を生み出せるようにその糸を編む努力ができます。

日本を研究する学生、若手研究者へのメッセージ

私自身が心がけていて、学生たちにも勧めている指針が3つあります。

1. 他の場所に目を向ける

 グローバルな文脈の中で日本について考えること。日本だけについて考えるのではなく、他の時代や場所で起きた同じような現象にも目を配ってください。例えば戦後の日本人の民主主義の捉え方を理解するには、アメリカやフランス、ドイツの人たちが、政府や大統領、首相を変えれば、暮らしの中で不都合だと思っている物事を変えられると考えているらしいと気づく必要があります。トランプやマクロン、ショルツが支持を得たことはその証左です。でも日本の有権者は選挙をそんな風に捉えていません。中曽根元首相や安倍元首相のような強いリーダーも含め、自民党や首相が国民生活を劇的に変えてくれると考えている日本人はほとんどいないでしょう。投票によって誤りを正すというよりも、社会財へのアクセスを高める、言ってみれば社会のあり方を変える、のが民主主義だと考えているのです。他の場所に目を向ければ、日本と同じように民主主義を捉えている国が少なくないことが分かりますし、日本的な見方がアメリカやフランスとは違うことも分かります。他の場所に目を向け、グローバルな文脈を考慮するのは、物事をハエの目(複眼)で見るのと同じです。ハエの目は全方向からのイメージを組み合わせて全体像を結びます。

2. まず共通点を探し、それから差異を見いだす

 これは表現が少し違うだけで、1つ目の指針とほぼ同じです。他の場所に目を向ける際には、まず共通点を重視し、それから違いを見てください。日本と中国、あるいは日本と米国といったように、2つの国を直接比較すると違いが強調されがちです。しかし3カ国、4カ国を比べれば、共通点のほうが目立つようになります。共通点に目をやってから差異を探す歴史家は、どんな事例においても大きな歴史的パターンが働いていることに気づきやすくなります。日本は「投票箱の民主主義」という点で他の国々と共通していますが、選挙に伴う民主主義の社会的側面も重視しています。そして先に述べたように、このように定義を広げることで、歴史家は日本をもっとよく理解できると同時に、他の近代民主国家についても理解しやすくなります。

3. 日本例外主義を避ける

 日本だけが特別と思わず、例外主義的な説明を避けてください。そうした説明によって、日本以外の人々が日本を固定観念で見るようになるだけでなく、日本人自らも自国を例外視し、日本人論などを持ち出して歴史を文化的な根拠に基づいて説明するようになります。日本はもとよりアメリカやフランスなど他の国々においても、文化的な説明は一定の意味を持ちますが、歴史の展開を主に文化の面から説明できることはあまりありません。 

 日本の研究者は、日本が文化的な固定観念で見られることに慣れています。私は戦争の記憶に関する研究で、集合的記憶について研究する社会科学者、記憶について研究する神経科学者、過去について展示する歴史博物館の館長らとともに研究を行いました。ほとんどが欧州または北米の出身で、戦争の記憶はアジアと西欧とでは異なると考える研究者が少なからずいました(例えば「アジア人は謝罪したがる」といった言い方をするなど)。そして往々にして、この違いは文化のせいだと言います。しかし私の研究によると、戦争の記憶が形成されたり変化したりすることに文化が関わっているケースはほとんどありません。私が調べた限り、公的記憶もあらゆる場所で同じように機能します。戦争の記憶の中身はもちろんそれぞれ違いますが、マスメディアやソーシャルメディアが影響力を持つ20~21世紀の社会では、私の言う「記憶の作用」が常に見られます。文化による説明に固執するのは、アジアに対する西欧の無知と、日本人自身が唱える日本例外主義が不幸にも組み合わさった結果であり、それが歴史の実相に対する極めて浅い認識につながっているのだと思います。 

 グローバルな文脈で考え他の場所に目を向ける、差異を探す前に共通点を探す、文化的例外主義を避ける――この3つの指針は言うまでもなく互いに関連しています。いずれも昨今盛んなトランスナショナル・ヒストリー(国境を越えた歴史)の分野で用いられますが、日本の近現代史を理解する上でも役立ちます。近代社会はどこもそうですが、日本もやはりさまざまな国が存在する世界の中で国家として存在しています。ゆえにその歴史は他国の歴史に影響を受け、他国の歴史とつながっているのです。

第6回人間文化研究機構日本研究国際賞受賞者キャロル・グラック氏インタビュー
第6回人間文化研究機構日本研究国際賞の授与式 (左 Gluck先生、右 機構長:木部)

(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)

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