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第6回人間文化研究機構日本研究国際賞受賞者キャロル・グラック氏インタビュー(その2)  

No.125
2025.10.01

 キャロル・グラック氏は日本近現代史の研究者です。第6回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞された同氏に、これまでおよび現在の研究活動についてお聞きしました。

コロンビア大学歴史学教授(ジョージ・サンソム教授職)キャロル・グラック氏インタビュー(その2)

長年研究を続ける難しさ(日米貿易摩擦の影響など)

 実のところ、困難とは無縁でした。1960年代の終わりに私が研究を始めた頃の日本は、私が育った中西部を含め、米国でそれほど注目されてはいませんでした。1980年代に貿易摩擦が激化すると、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ボーゲル著、1979年)や日本の経済力の急成長が話題になり、そこから日米経済摩擦が深刻化していきました。

 すると突然、私のような新米の日本史研究者がニューヨーク・タイムズ紙から「トヨタはどうなっていますか」みたいな質問をされるようになったんです。(この時の質問は、アメリカの自動車製造労働者が日本からの自動車輸入に抗議して、1983年にデトロイトでトヨタ車を破壊したことを受けたものでした)。こうして現代的な問題がきっかけとなり、経済大国としての日本に関心が高まる中で、私は公的な議論に参加するようになりました。そのおかげで、以前は「日本を研究するなんて変わってる」と言っていたシカゴの友人たちが、「多くの人が関心を持つテーマを選ぶなんて見る目があるね」と言うようになったわけです。

 日本をめぐる公的な議論に関わるようになった私は、現代的な問題についてもっと学ばなければなりませんでしたが、それは歴史家である私にとって良い機会でした。人々の関心を集めたのは経済ですが、私は歴史的な背景に重きを置いて何が起きているのかについて説明しようと努めました。そして以来、現代の諸問題を歴史の観点から読み解いてきました。実際、戦争の記憶に関する私の研究は、真珠湾攻撃、Dデー、終戦など、重大な出来事に関するコメントをメディアに求められたのがそもそもの始まりでした。どの国でも戦争をめぐる公的記憶が戦争の歴史を正しく反映していないことに気づいた私は、記憶と歴史がより一致したものになることを願って、公的記憶がどのように形成・維持され、変化するのかを調べ始めました。このように日米の経済摩擦は、私の研究の妨げになるどころか、むしろ新しいテーマに取り組むきっかけをくれました。現代的な出来事に対する人々の関心から、日本をめぐる議論に加わるようになったことで出合えたテーマです。

研究のキーワードのひとつである「対話」と研究との関係

 これはグローバル思考委員会での仕事に由来する例の名前「キャロル・イン・グローバル・コンテクスト・グラック」と関係があります。この委員会は、学術界の内外および特定の国の内外における対話に力を注いでいます。世界へ向けてレクチャーを行ったり、質問のカテゴリーを事前に設定したりするのではなく、オープンエンド型の質問を投げかけるのです。これは「Youth in a Changing World(変化する世界における若者)」というグローバル研究プロジェクトで用いたのと同じ手法です。「政府についてどう思いますか」と聞くのではなく、「何に関心がありますか。あなたにとって一番重要な問題は何ですか」と尋ねます。「国連についてどう思いますか」と聞いたら、それはテーマを決めていることになります。しかし「自身の未来、または自国の未来について最も気がかりなことは何ですか」と聞けば、枠組みが決まった質問への回答ではなく、その人自身の答えを引き出せます。対話はオープンエンドな質問から始まります。回答を想定した質問を用意していたら、その質問自体が反応を限定してしまいます。近年、この種のオープンエンド型の問いかけは私たちのプロジェクトの大きな特徴のひとつになっていて、予想できなかったような結果を生み出しています。

 例を挙げましょう。トランプ氏が初めて大統領に就任した2017年、私たちは1日がかりのオンラインマラソン会議を開催しました。ニューヨーク時間の朝8時にZoomでニューヨークと北京をつないで始まり、夜8時にニューヨークとサンティアゴの会話で終了しました。その日はニューヨークからの参加者のほか、北京、ムンバイ、イスタンブール、チュニス、アンマン、ナイロビ、パリ、サンティアゴ、リオデジャネイロのコロンビア・グローバルセンターに集まった人たちと話をしました。参加者の所属は大学、政府、非営利組織、企業、マスコミなどさまざま。それぞれの地域で最も差し迫った問題は何かと尋ねたところ、ナイロビからパリ、ニュージャージーまで、すべての人たちが「若者」と答えました。「国際関係」「経済」「移民」といった答えを予想していたので驚きでした。でも全員が全員、気になるのは若者のことだと言ったのです。今最も差し迫った問題としてこういった答えが出たのは初めてでした。それで私たちはグローバルプロジェクト「Youth in a Changing World」を立ち上げ、世界中の若い人々にワークショップに参加してもらいました。若者自身が司会をしながら、自分たちの言葉で自分たちなりのオープンエンドな問いかけをします。その後、他国の若者ともZoom経由で話す機会を設け、関心事を共有してもらいましたが、お互いに思ったより共通点が多かったようです。オープンエンドな質問の良さはそういうところにあります。

 対話には話すだけでなく聞くことが求められます。つまり真のギブ・アンド・テイクです。会話をし、人の話に耳を傾ける――それは歴史の研究し、執筆し、教えることとほぼ同じです。結局のところは人と人との関係に行き着きます。違いは相手が目の前にいる人か、遠い昔の人かということだけです。どんな場合も大切なのは耳を傾けること。だから私は人と話すのが好きなのかもしれません。私が講演の類いをたくさん引き受けるのを、夫は不思議がりますが、恐らく歴史家は話し好きであり、それ以上に人の話を聞くのが好きなのでしょう。他の人たちとともに議論し、取り組んだ知識こそが大切な知識です。ただ本を書いたり、講義をしたりするのとは違います。同様に、公的記憶で大事なのは人々の考えであり、読まれもしない歴史書に書いてあることではありません。戦争の記憶は社会的知識であり、そのように扱われるべきものです。よって聞くことが話すことと同じくらい、あるいはそれ以上に重要である限り、対話は知識へ至る道、より良い世界へと続く道なのだと私は思います。

 先ほど申し上げたように、歴史家は研究を行う時、既に過去と対話しています。たとえ古びた事実であっても、生身の人間がかつて何かを考え、感じ、不安や希望を抱きながら生み出したり経験したりしたものです。私はずいぶん以前、博士課程の学生だった頃にそれを感じたのを覚えています。明治のイデオロギーに関する研究のために東京大学の明治新聞雑誌文庫で古い新聞に目を通している時でした。自分が1890年代に記事を書いた人やそこに出てくる人と会話しているところを想像しました。どんな人だったのか。なぜそう言ったのか。なぜそうした行動を取ったのか。ある意味で歴史家は彼らの話を聞く努力をしています。歴史研究はそれ自体が研究者と対象者との対話であり、したがって過去へアプローチする際には、現在を理解する場合と同じくらい対話が有効になります。

第6回人間文化研究機構日本研究国際賞受賞者キャロル・グラック氏インタビュー
第6回日本研究国際賞 記念講演「War Memory: Eighty Years On」

(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)

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