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感染症流行期にみる「音」・「音楽」を介在したコミュニケーションの今昔
音楽をめぐって――変わるもの、そして代わらないもの。

感染症×音楽の歴史を振り返る

光平)時代を追って見てみると、まずは「教会音楽」全盛期の13世紀ヨーロッパで流行したハンセン病。これに起因しては、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンなど教会関係者でもあり作曲家でもあった人たちによって、治療を願う「祈りの音楽」が多く作られたよね。じゃあ、14世紀に流行った「ペスト」はどうだろう。中世ヨーロッパで猛威を奮ったペスト文学作品では、カミュの『ペスト』が有名だけど音楽作品でなにか思いつく人いる?

Aさん〔作曲専攻〕)ロシアの女性作曲家グバイドゥーリナはどうですか?民族楽器を使って新しい音を引き出したり、古今東西の様式を融合させたりした音楽の作り手としても知られる彼女。《ペスト流行時の酒宴》という作品をのこしていますよね。

光平)なるほど!同時代に発表されたものではないけど、たしかにペストに着想を得た作品だね。

Bさん〔ピアノ専攻〕)《ペスト流行時の酒宴》って2005年に発表された楽曲ですっけ?タイトルはロシア近代文学で有名なプーシキンの戯曲に由来してるっていう。

Aさん〔作曲専攻〕)そうそう!

光平)15世紀末に突如として現れた「梅毒」。この病に悩まされた作曲家も多数いたんだよね。シューベルトやシューマン、スメタナ、ジョプリンなど。彼らは罹患中、祈りの音楽や悲壮感に満ちた楽曲を発表し、自身の楽曲を通じて窮状を伝えたり、自身の感情のカタルシスに努めたと言われるよ。

Cさん〔音楽学専攻〕)「梅毒」にかかった有名な作曲家って結構多いんですね。じゃあ…「結核」にかかったといえば、やっぱりショパンですかね!ショパンは1838年、療養も目的として女流作家の恋人ジュルジュ・サンドと共にスペインのマヨルカ島へ旅をしますよね。でも病気の悪化、そして伝染病にかかっているという噂が島に広がったため、彼らは滞在していた家を出て、その家の消毒代まで払わなくちゃいけなかったって聞いたことあります。


はしか絵(歌川芳虎「麻疹後の養生」)
国際日本文化研究センター所蔵
光平)そうそう。そのころ、ショパンは自身の葬儀で演奏してもらうためのピアノ曲なども書いたんだったよね。このあたりで少し目線を日本にうつしてみようか…江戸時代に流行った「はしか」や「天然痘」を題材とした、「はしか絵」や「疱瘡絵」が多くつくられたことはよく知られてるけど、同時期に人形浄瑠璃や常磐津で当時の惨劇や、病状を演じる――そうした「戯作」も多く作られたんだよね。

Cさん〔音楽学専攻〕)「戯作」の流行の背景には、鑑賞を通じて人々が鬱積した感情を発散したり、養生の心得を知ったり、会場の人たちと連帯感を抱いたり…そうしたことが関係しているのかな?

Dさん〔音楽学専攻〕)それって、大きくみると「音楽」で癒したり共同体をつくったりという意味では「音楽療法」のような感じにもつながるような。そういった「場」の創成を模索した一例にも見えますね。

光平)伝えたいことを全部言ってくれてありがとう(笑)わたしもそう思うよ。そういう共有の「場」の創成って、洋の東西を問わず、病や災害との対峙の時には非常に重視されたんだよね。じゃあ、また西洋に話をもどしてみようか。今回のコロナ感染症と絡めてもよく耳にした「スペイン風邪」について考えてみよう。今から約100年前の「スペイン風邪(1918~20年)」のパンデミックも音楽界に大きな影響を及ぼしたんだよね。「スペイン風邪」による死者は数千万人に及び、日本でも約39万人が死んだといわれています。スペイン風邪の感染は第一次世界大戦の終結の時期(1918年11月)と重なっていたことも押さえておかなければならないことだけど…、「スペイン風邪」と音楽といって何か思いつく人いる?

Aさん)ストラヴィンスキーの《兵士の物語》!

Bさん)1918年にローザンヌで初演されたけど、その後に予定されていた各地の巡演はスペイン風邪の流行のために中止せざるをえなかった曲だよね。このまえ指揮法の授業でも聞いたよ。

光平)そうそう、たしかに《兵士の物語》も当時の感染症の影響を大きく受けているね!その他にはどうかな??スペイン風邪はウィーンでも大流行し、1918年秋《グレの歌》(1913年初演)で管弦楽の巨大化を極めたシェーンベルクがウィーンで私的演奏協会を立ち上げました。そこでは、同時代の室内楽曲の紹介の他、少人数のアンサンブル用に編曲された作品が演奏されました。それはなぜか――?

Dさん)「スペイン風邪」のパンデミックで多くの人々の命が失われたヨーロッパで、巨大編成の音楽を演奏することはもはや困難になっていたから??

光平)そのとおり!あと、この時には第一次世界大戦も重なってたんだよね。そうした幾重もの社会背景を受けて、それまで肥大化していた音楽形態や様式からコンパクトな音楽への転換がはかられたんだね。つまり、「新古典主義」音楽という新しい潮流をつくって当時の芸術思想を変革し、突き付けられた現実へ対応していったともいえるかな。このように、感染症の流行は、はからずも新たな音楽形式の創成にもかかわってきたんだね。

Cさん)あ!そういえば、去年の春ごろだったかな。ベルリン・フィルの無観客演奏会をライブ配信でみたときのこと。舞台上の楽員たちはめちゃめちゃ距離をとって演奏してたんだけど、その時に演奏されたマーラーの《交響曲第4番》は、1921年シェーンベルクが設立した私的演奏協会のために、室内アンサンブル用に編曲されたものだって言ってたよ!

Aさん)おおお!当時の編曲者もさすがに100年後にこのような状況で演奏されるとは思っていなかっただろうね(笑)

Bさん)今回の新型コロナウイルスが音楽の創作や演奏にどんな影響を与えるのかな。今回も、困難の中から何か新しいものが生み出されるのかな…。コロナのため、演奏会中止に追い込まれた世界中の演奏家が活動再開のために模索を続けていますよね。演奏する人だけじゃなくて、作品や舞台の作り手だってそう。多くの人たちが苦しんでいますよね、長い間。

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