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NIHU Magazine

リーダーに聞く『関雄二 国立民族学博物館新館長』<後編>  

No.120
2025.08.08

 2025年4月に関雄二氏が国立民族学博物館の新館長に就任されました。インタビューの後編では、研究と社会との結びつきの重要性や民博の役割、新館長としての抱負を伺いました。

・調査と地元社会との繋がり

 1979年、私が最初に発掘した遺跡を、その後10年にわたって調査し続けました。調査最終年には、現地に進出していた日本企業の支援を得て遺構の一部を保存しました。遺跡公園として、地元に返還しようと考えたわけです。立派なデータが出ているし、歴史を学ぶ場として使ってくれたらいいなと思っていました。

 遺跡公園自体は良いアイデアでしたが、ペルーの文化庁(現在は文化省)の地方局が、実際の遺跡の10倍ぐらいの土地を登録して、遺跡周辺に動物園や植物園を作る壮大な計画を立ち上げたのです。日本では私有財産制度が保障されているので、そんなに勝手に遺跡の価値を優先して土地に規制をかけることは出来ません。一方で、ラテンアメリカ全般に言えますが、遺跡として登録すると、その土地の所有者はほとんど活動出来なくなります。遺跡内に住んではいけない、出て行けと言われるのです。

 遺跡公園の除幕式の時に、今まで発掘作業にずっと携わってきた地元の住民の1人が私のところに寄ってきて、「あなた達のおかげでこの10年間、農閑期に現金収入を得ることができた。その機会を与えてくれたことは本当に感謝する。ただし、あなた達が来なければ、こんなことにならなかった。」と強い口調で非難しました。この言葉は、ぐさりと私の胸に刺さりました。研究費をいただき、地球の裏側まで行って調査をし、しかも遺跡公園を実現するなど、いいことをしたと思ったのに、これが仇になってしまったからです。こういう社会の構造がある中で私達は調査をしなければならないことを改めて悟りました。

 それまでの調査団は、遺跡登録や保存といった問題は研究者の手を離れた相手国の問題だと言い、なんら行動はとれないという認識を持っていました。ところが、そんな態度をとっていたら、こういう結果になってしまったのです。自分は、データを取って、日本に帰って論文や報告書を書いて、給料をもらって生活している。この間に、研究対象地域の貧しい人達は出て行けといわれ、生活ができなくなっている。こんな矛盾した構造の中に自分を置いていいのか、ということを強く問い始めました。

 このいたたまれない気持ちから、問題を解決したい、解決するためには状況分析を冷静にしていかないといけない、と決意したのです。こうして文化財法や、文化財を巡る問題について社会人類学的フィールドワークを始めました。

 たとえば盗掘の問題について、なぜ盗掘をしなくてはいけないのか。なぜ文化庁と住民達は対立しないといけないのか。こういうテーマを設定しました。外国人研究者は、現地で調査許可をもらい、発掘をするわけですが、許可がないと盗掘者になってしまいます。発掘した出土遺物を隠蔽や隠匿することは出来なくて、出土遺物は全てリスト化して文化庁に提出します。その過程で金製品などの立派なものが出てきたら、地元の人達や国は突然のように盛り上がり、発見されたものを核に観光開発しようかと、どんどんと話が広がっていくわけです。

 私達が学術的な世界に閉じ籠もろうとしたって、研究成果はいかようにも使われてしまうわけですよね。アルフレッド・ノーベルの開発したダイナマイトが、本人の意思とは別に、人を殺める道具として使われてしまった構造と似ているわけです。考古学の世界でも、研究に閉じ籠もっていては、その成果自体が社会的に拡大していってしまう可能性があります。このことに対する責任を意識しながら研究を進めていかないといけない。こうした配慮や倫理、義務といったものをきちんと研究に取り込むには、研究自体の全体構造を知る必要があると思うのです。

 たとえば、文化財を守る原理ってどうなっているのか。あるいはユネスコの世界遺産という普遍的な概念や構造を知り分析をした上で、どのような行動を取るべきかを考えていく。こうした分析は研究だと思っています。そしてこの研究成果を元に実践に取り組む、という形を私は目指していますし、国外で研究を行う私たち研究者の責務であると思っています。さらにいえば、どのような構造で、どのような実践をしていくのか、という点は、遺跡が位置する地元の社会との深い繋がりの中でやっていかないといけないと思っています。

・村の人達が取り残されない仕組み作り

 発掘調査をおこなうために遺跡がある村に入った時には、その村にはどのような組織が存在しているのか、ということをまず調べます。遺跡を掘るだけではなく、遺跡のある村の人達との関係性を重視するわけです。たとえば、発掘作業員の雇用では、かつて私たちの調査団では、知り合いや村長を通じながら、その人脈を使っていましたが、今ではそうせずに、村に託して会議の中で選んでもらっています。こうした方法をとることで、村の自治能力も高まりますし、私が好き勝手な人を選ぶのではないという姿勢を示すこともできます。

 よく途上国の人たちを教育しないといけない、と言いますが、逆ですね。我々が学ばなければならないことが沢山あります。村会議の中では、村で一番貧しい人は誰か、そこの家族は何人家族か、村人達は皆知っているわけです。そうすると、「あの人に仕事をあげよう」というような発言が出てきます。私は「誰とでも働くよ」と言っているので、選ばれた人は、たとえ作業が上手でなくとも受け入れます。出土した土器片の洗浄や注記をする女性達についても、夫が作業員として発掘に携わっている場合はダブルインカムにならないように配慮するなどしています。我々は現金を持って小さい村に入っていきますが、この現金の額は相当で、大企業みたいなものです。そうした時に、この村で社会的な問題やコンフリクトが起こらないように最善の注意を払わないといけません。こうして地元の村と付き合っていくのです。

 そして、出土遺物に関しても、研究は大事ですが、やはり村の人達が疎外されてはいけないと考えています。村人が参加できるような遺物の取り扱いの仕組みを作るため、文化財の保存や活用の方法を考え、保存担当の役所と討議しながら、媒介者として動く。ここまでが責務だと思って努めています。

 そういう活動をしながら日本に帰ってくると、別の問題を感じます。私が今危惧しているのは年々若い人達の文化財に対する関心が低下していることです。大学の先生に聞くと、文化財の方に進んでいく学生がどんどん少なくなってきている。若い人達は、今の社会状況に非常に敏感だと思います。あまりにオーソドックな世界よりも、社会課題を解決するような企業に社会との接点を求め、なおかつ経済的な安定みたいなものを目指していきがちですよね。そうすると、オールドファッションのような我々の学問はあまり人気が無くなる。仕方のないことではありますが、オールドファッションはオールドファッションとして研究の牙城として守っていく必要があると思います。こういう基礎的な研究は無くしては絶対いけないし、人文科学でも無くしてはいけない。一方で、オールドファッションとて、社会問題の解決に取り組んでいるのだという姿勢を見せ、それに見合う教育体制を整備していく必要もあるのだと思っています。

 そのためにも、幼い頃からそのことを知ってもらいたいと思い、小学生対象のワークショップをやっていますし、最近では小学生向けの図鑑を編集しました。日本社会において私達の学問を守り、発展させ、社会に供するために必要なことだと思っています。

ペルー北高地パコパンパ遺跡の保存を村人と行う (2015年 ©パコパンパ考古学調査団)


・創設50年目を迎えた民博の役割

 今言ったことは、いわば私自身の研究のイメージであり、ただ民博にそれを押しつけるというわけにはなかなかいきません。民博の場合は民博の運営として粛々とやっていこうと思います。しかし私が考えていることとそんなに齟齬があるわけではない。というのは、民博が第4期中期計画(2022-2027年度)で目指していることは、いわゆる人々とのフォーラムの思想です。色々なレベルのフォーラムがあり、たとえば研究者と研究対象となるコミュニティとの間のフォーラムです。共同で創る意味の共創です。共創的なことは、コミュニティに限らず、対象社会にいる研究者との共創もあります。なおかつ我々の場合は大学共同利用機関で博物館を持っているから、博物館活動を通じて一般の来館者と私達自身のフォーラムもあります。このフォーラムはたとえば、ボランティア組織であるMMP(みんぱくミュージアムパートナーズ)を通じてやることもあるだろうし、直接、来館者に対するワークショップなどを通じて実現することもあるでしょう。そういうフォーラム活動を大学共同利用機関としてやっていくことは、今までお話ししていた私の研究観とそんなにずれていないかと思います。中期計画にも書かれているとおり、このフォーラムの思想を引き続き掲げていきたいと思っています。

 もう1つは大学共同利用機関(研究所)としての研究面を更に充実させていきたい。今でも立派な研究がやられていますけれども、その研究に当たってはフォーラム型の研究をベースにしていきたいと思います。一方において、トピックとしてはこれほど目まぐるしく動いている現代社会というものを、ある程度射程に置いたようなテーマの研究をしていかなくてはいけない。そのときには文化人類学が得意とする対象社会の綿密な分析が必要です。対象社会自体も私達と同様にこの目まぐるしい社会の動きの中に巻き込まれているわけですから、その分析を通して世界の大きな動きに迫っていくことも出来るはずです。私達の強みは経済学者や政治学者と違って、マクロのレベルだけを見るのではなくて、ミクロのレベルの動きからマクロレベルの方に視野を持っていく。こうした形での研究は完全体として推し勧めていくつもりです。

・新館長としての抱負

 博物館を持った大学共同利用機関は国立歴史民俗博物館と我々だけで、この運営は大変難しい局面に今きていると思います。これは高等教育あるいは文化行政を含め全体的に言えることだと思いますけれど、国から配分される運営費交付金で運営をしている機関は、どこも火の車です。日本を取り巻く経済状況を考えれば、仕方がない面もあるのですが、いただいている予算だけでは、課題に対応しきれていないのが現実です。もちろん、科研費などの外部資金の獲得は必須にしても、研究や博物館活動を活発化させるということが非常に難しい状況にあるといえます。そんな中でも私達の存在意義を社会や学会に訴えていくということを怠ることはできません。その意味では、今後は、いろいろと選択をする場面が多くなってくるだろうと思います。

 人類のよりよい未来を目指していくことは常に心に留めておきたいとは思いますが、現実的なところでは、研究成果をいかに効率よく発信することができるのかということも同時に考えていかなくてはいけない。この難しい舵取りをどうにかしてやりとげたい、というのが抱負と言えば抱負です。大きなグランドデザインを描ける状況ではなかなかないのですが、第5期中期計画(2028-2033年度)に向けて館内でも若手研究者が一生懸命、将来構想を練っているところです。その意見を取り込みながら、なおかつ与えられた条件の中で計画を実現していきたいと思います。そのためにひたすら社会に対して発信していくのが私の役割だと思っています。

ペルー北高地ラ・カピーヤ遺跡における「巻貝の神官墓」の発掘で 巻貝をとりあげる。(2022年 ©パコパンパ考古学調査団)


(聞き手:大場 豪 人間文化研究機構 人間文化研究創発センター研究員)

国立民族学博物館 関 雄二 館長

専門はアンデス考古学、文化人類学。東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。東京大学教養学部助手、東京大学総合研究資料館助手、天理大学国際文化学部助教授を歴任。1999年より国立民族学博物館。2022年3月退職し、名誉教授。2025年4月より現職。

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